新型インフルエンザへのポエム

大変なことになっている。

中国から、韓国が、イタリアが、スペインが、アメリカが、世界中が…と心配していたら、日本でも低調に抑えられていた感染者がグンと伸びた。以前は中国からの帰国者だったが、今回は欧州旅行からの帰国者が多い。第二波と言えるだろう。この波の方が明らかに厳しい。

ご当地青森では感染者がおらず、人の往来がないもんね…と自虐的な気分でいたら、とうとう確認された。やはり欧州旅行者。こんな時期に…と思っていたら、今日は東京からの帰省者が感染だと。都外への往来の自粛がされる週末前に帰省しているので、一時的なものなのか、しばらくこっちにいようと思ったのかは不明。こういった流れ弾のようなパターンはいくらでもあるだろうし、今後は国外からの感染よりこちらにスライドするだろう。東京の病院、千葉の障害者施設ではクラスター(と呼んで差し支えないような集団)が形成されたとあり、マジヤバい。

イベント関係は現時点で補償はされないとあり、運営側、出演側両方に多大な影響。飲食店は言うまでもない。新型コロナによって人は死に、新型コロナを恐れ「なければどうしようもない」社会が経済を殺し、殺された経済によって人々が道連れにされるようだ。

現状、一部都市圏に感染者が集中するということは、地方は遅れて感染増加という可能性が高いのではないか。

例えば北海道は早期から感染が確認→増加され、すぐに規制をかけたことにより増加は抑えられている。しかし、内実は感染者が札幌近辺、道南地区等に集中しており、稚内や留萌等では感染確認がされていない。感染していても発症しない、無症状、ごく軽症であるから感染者として確認できないだけかもしれない。基本は住民数、内外の往来の多さに左右されていることは間違いないだろう。今後、ある程度外出に対して緩やかな雰囲気になった場合、この動静は変わりそうだ。

長丁場になることは間違いない。しかし、政府からは給付は検討されているが減税はされず、補償はしないが給付で対応。そこそこ、である。では、ある程度は経済活動を維持しつつ、出来るだけ感染に注意するしかない。旅行というか往来は自主的に制限する期間が続くかな。

先が見えない。いずれあるだろう。しかし、確実に変わる。それがいいものなのか、そうでもないのか。

何が起こるか分からない。だから人生は面白い。と、よく言われる。

まあ、それは面白いことだけを振り返るから面白いと言えるだけだ。生存者バイアスのようなものだ。いずれ、面白くないことを面白がれるようになったとしても、その年に面白がれるだけの体力があるからだ。

平穏無事に過ごす。波風のない人生。割といいと思うのだけれど。どうかな。

そうなって欲しいと、今は強く願っている。

立て続け。

あまりに暇すぎる。

わたしには(もしかしたら誰しもが)人生を台無しにしてしまいたい欲求がある。後のことなど、残された人のことなど、何もかも捨て去ってしまいたい。

仕事を放り出し、家族を投げ出し、酒に溺れ、どこかで生き絶える。そんなことを度々、もしかすると常に頭の片隅に。

実際はそんなことできないし、ならないのは分かっている。そんなことをできる程、大物ではない。小市民だ。

遠く離れた街で飲んだくれることが好きなのは、現実に生きるのを放棄したいからだ。逃げ出してしまいたいからだ。でも逃げられない。神はそんな人間の為にアルコールをもたらしたのではないか。歓喜の為にではない。逃避の為に。だから酔いは醒める。そして醒めることからも逃げたい人間が、依存してしまうのだろう。どう考えても弱いあるいは弱った人間が依存してしまう。それはどんな嗜好品でもそうなのだろうが。

明日は月曜日。また忙しい毎日。それでも生きていかなければいけない。堕落するにも生きることが最低条件だ。

そして、明日も堕落するんだ。現実に引き戻されるんだ。

それしかないんだ。

ゆく年くる年

今年はコロナに始まりましたが、もう終わりそうですね。来年には少し期待している。

不遇の年末年始をくぐり抜け、わたしは健康体ではないものの、それなりに元気です。2月には東京でライブ観戦、その足で遠い所に住む弟と弟の嫁、そして昨年生まれた凄まじく可愛い甥っ子に会いに行き、帰りは京都へ。建仁寺では風神雷神、そして竜の天井絵を見てしまったり。ウィークエンダーズコーヒーに行き、お次は開化堂でちょっくらお高い茶筒でも見ようかしら、と思ったら閉店日ガラガラ。失意の内にふて寝。翌日、まず東京へ。そこから乗り換える合間に、福岡のRECコーヒーが水道橋に出店したとのことでグビグビさんぽ。青森へ帰ると、記録的な小雪だったはずが、留守にしている間、凄まじいぐらいに降り積もって雪と格闘。神は乗り越えられる人間にしか試練を与えないとかいうけれど、わたしが乗り越えられる根拠はなんだったのか聞きたい。おお、神よ。

ここまで一息。ひと休み。

何か忙しかったような。記憶が途切れがち。

コロナはその後調子に乗って猛威をふるう。

久方ぶりに出張となり、その頃感染者が確認された横浜だった。しかし、ええい面倒くさいわ!と普通に出発。その前にすっかり諦めていたナンバーガールのライブチケットがクリック合戦でギリギリ入手できていたので、仙台へ。ヤバいさらにヤバいバリヤバい。横浜のホテルでのチェックインまで中途半端に時間があったので新橋で一時降り、スーツケースをロッカーに放り込んでクラフトビール。そしてロッカーから取り出して東海道線で横浜へ…あれ?スーツケースがない…。頭が白くなり?????と酔いどれ状態ではあったが、シナプスが頑張ってくれた。トイレだ…。置いてきたわ。品川で降り、逆戻り。往復10分くらいではあったが、ここは大都会トーキョー。狂った街だと清春は叫んでいたじゃないか。新橋に着くと猛ダッシュでトイレへ。あったーーー!!!!おおおおおお!!!!スーツケースに抱き付いた。周囲の目など知らない。もう一生離さない!と誓った。家に帰ればさっさとしまうクセに。新しくてオシャレだが割とお値段も安いホテルにチェックイン。そして鎌倉へ。一年ちょいぶりだ。チャイニーズが少ないかな。でも三連休の中日だからか、人はそれなりにいる。鶴岡八幡宮へ。体調を崩している叔母と、何かと怪我や病気持ちの母に御守りを購入。ジェラテリアでお高いジェラート、ヴィヴィモン・ディモンシュでコーヒー、そしてワインバーでワインとボルケッタ。美味い。翌日から研修。参加者が当初の半分以下らしい。快適だったけど。翌日も受け、その足で東京。ビールとワイン、〆のラーメン。わたしは生きている。翌日は帰り、自らコロナの保有者とならないことを祈って現在に至る。

復帰した職場では人間関係で様々なトラブルがあり、仕事に忙殺されながら事態の好転を待つのみ。わたしは忙しいのだ。と思っている内に、政府の要請を受け、各学校は休校の方向でまとまったという。そしてマスク買い占めの次はデマに踊らされた哀れな市民がトイレットペーパーを大量購入。世紀末か。80年位先取り。ある意味トレンディ。純一パニックと名付けよう。

世界中で大騒ぎしているコロナウイルスだが、一部でコロナは風邪に毛が生えたようなものでは?という専門家もおり、発症率は案外低く、致死率も低い。悪化すると死に至るのは何でも一緒だし。もしも大した病気でもないとすれば、後世の進化した人間たちにどう思われるのかな。確かめようもない。

どうせみんな死ぬのだから。

なんだこの悲観的なオチは。

闘病日記(マジ)

シャバの空気は割と普通でした。

 

11月末の気胸再発による緊急入院から、再発率を抑えるため、手術を受けることにした。選択肢は年末か、さもなくば来年1月の中旬から下旬。前者は手術を受けて回復が順調なら年内退院だが、少しでも遅ければ年越ししちゃいますよ☆というものだったが、いつ再発するかビクビクするのもイヤなので、年越しも辞さない覚悟で年末の予定を全てキャンセルして入院。

前日までに年末年始の観たいTV番組をできる限り録画、それに伴いHDDの要領を確保。年始当初に必要な仕事をチェック。前回の入院時の荷物をそのままにしてあるので、その他の準備はせずに済んだ。

入院初日は気楽なもので翌日の手術までのスケジュールを説明され、夜9時から食事は禁止、翌10時からは水分も絶つとのこと。睡眠時は個室の方がいい性質だが、かといって個室も大げさだなということで、前回前々回ともに大部屋。今回も大部屋で先客が二人。一人はその日で退院。もう一人は以前の手術部位が化膿したとかで再入院だという。

翌日は手術する側の脇毛とその周辺部位の体毛を剃った後、麻酔を脊椎に沿って行う硬膜外麻酔チューブを挿入する為、手術室で一度仕込む。一度戻り、予定時刻が来るや歩いて向かう。あー、歩くんだ。

麻酔を打つとすぐに朦朧とし、気付くと終えたと伝えられる。なぜか泣く。危険性が低い手術なので、特にびびっていたワケじゃないのだが泣く。痰を出したくても出づらかったので看護師さんに「痰を出せずに泣いていたみたい」と両親に伝えられたという。いや、多分違うと思うよ。

ウトウトしては起きてを繰り返し、これはマズいと思いながら、やはり消灯時間からが辛い。仰向けから動くと手術側が痛むので体も動かせない。腰が痛い。寝ても細切れ。一時間だったり20分位だったり。腰が痛い。まだ2時か…腰が痛い。管を繋がれているので何だか尿が出にくいような気もする。腰が痛い。口が渇く。腰が痛い。熱も出た。腰が痛い。朝を迎え、心電図の機器が外され、TV台が傍に。この頃には少し腰が軽くなる。

しかし、手術部位の側を持ち上げたりすると、どうやら傷口よりも腕がひきつるように痛い。以前、手の骨折をした際に、手を心臓より下にすると血がグワーっと集まったように圧迫されて痛くなった経験があったが、それにかなり近い。

最初は筋肉痛のようなもの?と判断されていたが、わたしは筋肉痛に少しうるさい。こんな圧迫されるような筋肉痛は地球上に存在しない。しかし、手術ミスや麻酔によるミスなどではなく、手術時に腕を上げて圧迫されていたのが原因だというのは納得。

手術翌々日に背中の麻酔をチューブが抜かれ、尿管カテーテルを抜去。元の部屋に戻るが、起きると腕がまた圧迫されたように痛くなるので基本寝て、起きなければいけない時には少しマシなポジションを探す。どうやら少し腕を上げて付くようにするのがマシ。マシ。な程度。しかし、歩くとヤバい。どうやっても痛い。マシなのは手で反対側の肩を掴むように水平に挙げるやり方。しかし、マシ。な程度。トイレから部屋に戻ると雪崩れこむようにベッドにダイブ。

しかし、肺の膨らみは順調であり、管が抜かれると翌日のレントゲン次第で退院OKとのこと。でも明日に腕が良くなっているイメージがない。肺が心配で入院して、手が心配になって退院するという。落語に使える。機会がないけれど。

再移動後は入院中最も昼寝等に気を付けていたが、調子こいたせいか全く眠気が訪れてくれない。もういい加減寝ないと、と集中するも、今度は同部屋のおじさんが大きめのイビキを繰り返し、さほどでもなかった初日に比べて今夜の彼はどうかしてしまったのか?と考えだしては寝られない。ようやく寝ると腰が痛い。しかし、寝る前にはマッサージをしていたせいか、腕を動かしても日中のような痛みがないパターンがあり、「少しずつよくなるのか?」と楽観的になろうとしたが、少し寝て目が覚めると悲観的になる。朝が来ると、何だか前日とはまた微妙に違う部位や痛みかたの差異があり、悲観を通り越して絶望的になる。手術部位の痛みなんて気にもならないのに。

そうこうしている内に親が迎えにくる。シャツに着替えるのにいちいち休息や態勢変更が必要。パンツが履けない。履いたけど。昨日は寝たら腕の痛みは軽くなったけど、寝てもあまり変わらない。着替えてからベッドに倒れこむ。退院です。これでも。

と、これがほんの数時間前までの出来事。退院ホヤホヤ。さっき家に着いてしんどくなりながらブログを書くぐらいには余裕がある、余裕があるというにはギリギリすぎる。窮屈な態勢で圧迫され続けたことによる血行障害のようなもの。そういう患者さんもいる。と説明を受けたが、こんなことになるなら手術なんて受けなきゃよかったとまで思いつめている。

その割にはブログに顛末を書いている。

詰めてないじゃん、と言われたら全く返す言葉もないのである。

そもそも返す気持ちがこれっぽっちもないのだけれど。

闘病日記(ウソ)

まあ、思い切り気胸再発したワケだが。

年間で最も大事な仕事をキャンセルせざるを得なかったワケだが。

手術を勧められ、年末執刀かつギリギリ年内退院できるかどうか、ヘタすると年を越しちゃうスケジューリングを組んだワケだが。

自宅療養中でそろそろ出勤するが、その前に中村佳穂のライブに来てしまったワケだが。

だってこうなると思ってないじゃん?

今頃元気で新木場来てるハズじゃん?

東北新幹線の7号車最後尾、全くwi-fi効かないとか考えもしなかったじゃん?

しかし、わたしは(反語的にある意味)元気です。

これからライブが始まる所だが、泣いてしまうかもしれない。

きっとね!

イカれたメンバーを紹介するぜ

ほったらかしていたミシェル・ウェルベックの『セロトニン』を読み終える。これまでの集大成、というよりは完結という印象。基本この人は西欧人の欺瞞・矛盾・行き詰まりみたいな部分を骨子に据えてきた印象なので、その点で完結的な作品。評価ではなく、個人的ポイントは、元(にして最後の)恋人である日本人女性の描き方。めちゃくちゃに酷すぎて、むしろ笑ってしまう。

海外小説と日本小説の違いといえば、語り出したらキリがないけれども、普段小説を読まない人にも分かりやすいのは、性=セックスの表現が普遍的なところじゃないかと。カジュアルに誰彼とのセックスがどうの、性器がどうの、マスターベーションがどうの…と、逐一ぶっこんでくる。あいつら日本=HENTAIなんて、よく言った!えらい!(えらくない)

性表現に関して、日本はゾーニングができてない!みたいな話を聞くけれど、海外はゾーニングしてると言われる部分以外は、モロ出しにしてるだけでしょ、絶対にさ。そもそも子どもが「お前の母ちゃん売春婦!」みたいな、ストロングスタイルな煽りを当たり前にくれてしまうんですよ。この世に生まれ落ちた時点で勝てない。腐敗してるんだよ!鬼束ちひろだよ!

他にもマザーファッカーとかねえ、濃厚民族のアタマで考えられる?いかにも元オアシスのギャラガー兄弟が発してそうなワードセンス、それをかなりの人間が備えてるって超コワイ。

でも、海外小説はアタマがバグる感覚が病みつきになるので、イカれた人間には大変よろしいと思う。

 

つまり、わたしは言うまでもないのだ。

何もなければそれに越したこともなく

心臓に異常が見つかった。今のところは特に何ということもないらしい。ここ数ヵ月、息が上がるのには無関係らしい。おやおや。

まあ、ボチボチ生きている。ラグビーはミーハーらしくハマったし、10月最終週に行われた青森コーヒーフェスティバルにも行った。会場に訪れた瞬間に帰りたくなったけど。やたら行列が長すぎ!と思っていたら、1500円でミニカップ購入したら注がれるシステムらしい。確か5杯。デミタスかよ。並ぶだけで陽が暮れるわ!ということで、マイペースに飲みたいものを飲み、頼まれたものを購入し、豆が欲しかったので安定の深煎りを。ワダコーヒー。フェス限定。いつもの方が良かったけど。

今日は服や本を整理していたら、服が有りすぎる割には着ていないし、本(雑誌)が有りすぎる割には、残しておきたいものが多い。要は片付けなんて進まねえのだ。

断捨離ムズカシイ。

とりあえずこの辺で。