ヒキが弱い

わたしの数少ない趣味の1つがランニングなのだが、先日限りなく岩手に近い宮城県北部でマラソン大会があり、クルマで馳せ参じた。背中が死んだ。岩手がすっかり嫌いになった。あいつ長すぎる。

フラットなコースがウリの大会はやたら多いが、大抵は高低「差」が少ないだけで道中のアップダウンはビシバシだったり。特にコースマップだけあって高低差を併記していない大会は要注意だ!今回はそれだったぜ!

終了後、地元の産業まつりが同時開催されて、ステーキ串?の無料試食会をやっていた。大名行列のごとき人の波。別に興味もなかったけれどさ。ふん。

 

とりあえずクールダウンのジョグをして、さあなんか食べよっかな~と戻ったら試食の場所は十戒のような空きスペースに。

「串が頬内側に刺さって悶え苦しんでしまえばいいのに」

とは思わなかった。ふん。

 

屋台はいくつかあったので、ウロチョロしているとカフェの出店。オーガニックコーヒーと書いてある。コーヒーとラテ。あとはオサレな炭酸数種類。コーヒーをチョイス。少しびっくりしたけどエアロプレス。こんな所で(失礼)。「やっと会えたね」と言ったか言わないかは定かでない。

モチと甘いもの好きのわたしは違う屋台でお汁粉を購入。そこら辺の芝生に座りワイルドなランチ。

コーヒーは熱い。まあまあ美味い。

汁粉は…ぬるくね?ね?じゃない。ぬるい。何となく汁も薄い。…お湯で足してる?そしてモチは四個。しかし丸くて白玉のような形状。わしゃ、四角い存在感のあるモチが好きなんじゃ(千鳥を思い出してくれませんかね)。

満たされないから鯛焼きを食べようと並んだら、わたしの手前の人が面倒な注文をしたせいもあるのだが、そこから全く焼ける気配がない。わたしはそういうパターンが多い。前世永遠の秘密兵器と呼ばれる補欠だったのかもしれない。うん。しっくりくる。

離脱して何となくクレープを食べた。美味しい。宮城のクレープ美味しい。宮城に何時間もかけて背中を破壊し、ハーフマラソン疲労困憊になり、汁粉でイライラさせられ、鯛焼きを諦めて食べた宮城のクレープは美味しい。こんな気持ちをどう表現したらいいのだろう。ふう。

帰りはやっぱり背中が死んだとさ。

 

人はいかにして読書に臨むのだろうか(新書)

フィッツジェラルドの短編集を読んでいる。いささか、登場人物の趣味嗜好を始めとする舞台設定は同一性がみられるのだが、飽きずに読んでいられる。面白い。

話の流れを緻密に組んではいても、がんじからめのような複雑さではなく、シンプルな─ともすれば簡素な─登場人物たちの会話や一定のテンポを失わない小気味良さは実にクラシック(悪い意味ではなく)であり、現代にあっても普遍性を保っていられる。

むしろ、現代文学のニュースクールを勘違いしているのではないか?と思わんばかりのサイケデリックな作品にいささか辟易することもある。こちらは品がありクール。落ち着きがある。ジャズっぽい。

…あー、村上春樹だな。

わたしは読書が好きであるが、書評家のような明晰で多岐に渡り、かつ膨大なデータベースを当然のように備えた人たち。彼ら彼女らにはなれないだろう。いっちょかみであるからして。

でも好きと言っていいだろう?なあ。

個人的に読書が進むのは電車の中だ。やることがないからだ。新幹線はベストだ。マジでやることがなくなるからだ。でもバスはダメだ。あれは酔う。

2番目はアルコールと共に、だ。酩酊というのはよいものだ。あれこれと物事ができなくなる。シラフの状態は色々と思考ができる、行動ができるが故に、一定の集中力を保てない場面が出てくる。なので、酩酊に持ち込めば他のことなんか知らねえぜ!状態に持ち込める。後のことは知らない。知ったところでわたしは酩酊する。

しかし、酩酊と電車は相性がよくない。普通の電車ならしっかりしないといけないね?ってことで読書どころじゃない。新幹線はアレだ、眠い。ページをめくる手が老い先の短い病人のごとく震える。特段誰にも会いたくないけど震えてしまう。

カフェは意外に捗らない。個人的には、だが。カフェで勉強してる人はいるけどね、わたしはあれ無理。PCで作業はできる。スマホでブログ書けるし、でも勉強は無理。雑念が入りすぎる。電子機器(古い)ならサクサクいける。

図書館は静かすぎて落ち着かない。「はいどうぞ(クイッ)」とセッティングが効きすぎているのでむしろ気を使う。

 

ここまで並べてみたところ、なんかシチュエーションが限られてね?と思考にふけてみる。2、3秒のことだが。


f:id:simplylogical:20181013151927j:image

わたしは酩酊する。読書は好きだ。

酩酊はもっと好きだ。それだけの話をしてみたのだ。ゴクゴク。

ポエム

何故か分からないが、先程からSMAPの『らいおんハート』がリフレインしている。タマに中居師匠のパートをどれだけモノマネしながらデフォルメできるかに挑戦している。ああ、ヒマだよ。

ふと「これってストーカーの歌じゃね?」と考えてしまい、私の中でそうに違いないと確信している。エピデンスはない。残念ながら。

君はいつも僕の薬箱さ→初っぱなから匂う

どんな風に僕を癒してくれる→ストーカーだ…

笑うそばからほら その笑顔→観察は欠かさない

泣いたらやっぱりね 涙するんだね→他のみんなには見えない弱さも見逃さない

ありきたりな恋 どうかしてるかな→ありきたりとかいって陶酔してる!

君を守るため そのために生まれてきたんだ→!!!!!!!

あきれるほどに そうさそばにいてあげる→………

眠った横顔 震えるこの胸 Lion Heart→終了

 

一番だけでこの調子である。やはり野島伸司はヤバい。私は強くそう思う。ちなみに誉めている。ちなんでいるのである。

今さら『らいおんハート』を口ずさみ、モノマネをしつつ、歌詞に込められた性癖を分析しているのは私ぐらいだろう。他にいたとしても特にノーダメージだ。

 

もうこれを(元)SMAPから聴くこともないのだなと思うと、あまり心は傷まなかった。

森くんのハイキックはいつでも見られるようにしているからだ。胸ぐらを掴んで相手を崩しつつ、自分の軸はしっかり保っておく。放して最低限のスペースを作り、最短距離でアゴを打ち抜く高速右ハイ。右手で掴んでいたので、瞬間的に視界が安定しないサイドが死角になることを瞬時に計算に入れているのだ。遠心力まかせではなく、腰の回転を生かしたノーモーションは実に美しい。しかも乱闘の最中、他の誰にもぶつかったりせず、スタジオのセットを壊すこともない。神か悪魔か。 

 

その時、ハッと気付かされた。メンヘラやストーカーなぞ、歯牙にもかけない森くんの逞しいメンタル。これこそ『らいおんハート』なのだと(違う)。

 

 

おい、アイツ誰が呼んだんだよ?

弘前市のアップルマラソン中止である。来るのが1日早まってくれたら、私は暖かい暖炉の前でペルシャ猫を撫でながら、ホットワインとブルーチーズを嗜みたくなるほどの安心感を得たことだろう。私の家には暖炉はなく、ホットワインを飲むと大抵具合が悪くなるし、ブルーチーズは苦手。そして私は完全に犬派だ。そもそも安心は得るものではない。買うものだとスーパーカーは教えてくれた。

FAIR WAY。

 

異常気象。天変地異。豪雨と超強風、大地震。安倍政権の陰謀だ、とネタじゃなく真剣に言ってのけるメンタルを見たとき、私はどんな顔をすればいいだろう。ああ、この美しい顔が歪むことは耐え難い苦痛だ。とか言えるメンタルこそ赤信号多重衝突なのだろう。助けてエアバッグ!え、誤作動?

 

去年のアップルマラソン、私は病院のベッドの上でスタートの号砲を聞いた。天気良かったかな?風が強かったような。雨は?まあ、どうでもいい。ほとんど覚えていない。何にしても棄権したんだから。

気胸にかかり、即入院。そして肺機能も格段に弱くなった。別に大して速くもなかったが、タイムを縮めたり練習で色々試行錯誤したりと、自分なりに楽しかったが、思い通りに走れなさすぎたのに加え、かなり良くなっていた梨状筋症候群が悪化。しかも以前よりずっと悪化。走る度に私は私でないような気がした。

それでもそこそこに走れるようになり、毎年恒例だったアップルマラソン出場再び。その願いも吹き飛ばす台風。三連休を日本列島で満喫する台風。お前は元気でいいな。元気なのはお前だけだ。

 

元気があれば何でもできる!とはアントニオ猪木のあまりにも有名すぎてむしろ無名なぐらいに空気扱いされているフレーズだが、これは本当にそうだ。元気がなかったら何もできない、というより何かをする気にならない。だからせいぜい、私は元気でいられるようドーピングでもしよう。プロテインやってるわ。

 

来年はアップルマラソンに無事出場できますように。台風は空気を読んでくれ。台風だけに。台風だけに。だけに!

 

ルイス・コールを聴きながら

夏、暑かった。マジ暑かった。

我らがブルーフォレストでさえ。


f:id:simplylogical:20181004184141j:image

そんな8月、上野でシャツを買う。あのクソ暑い中。上野は独特の匂いがする。チャイニーズもたくさん。わたしはコンビニ途中休憩を挟む。涼みながら進軍している。汗かきは夏が大キライ。

上野の雑居ビル。2階に上がる。

サンリミット。以前から気になっていて。ワイドスプレッドのシャツが欲しかった。第一候補の白シャツは入荷待ち。店員さんは親切で、色々と出してくれた。ありがとう。

ロンドンストライプを購入。黒いショッパー。シャツは小さな段ボールのような箱に納められていた。かっこいい。

わたしは肩幅と胸板が厚い。ちょっとどうかと思うぐらい。母親譲り。父親はうっすい胸板、頼りない肩幅、ニワトリのようなほっそい脚だ。中間にしてくれ。メガネの長髪店員さんはそのような体型を見越して、ワンサイズ上を勧めてくれた。洗うと縮む。それでアーム部分はハマるらしい。なるほど。

 

秋。豪雨と台風しか来ねえ。朝はとんでもなく寒い。中間にしてくれ。サンリミットのシャツを来た。袖はやはり長い。洗うと少し縮む。許容範囲。気分はアガる。

特にオチはない。いいよね☆と書きたかっただけである。

では。

 

少子化時代を演出している一個人の懺悔

必要なものと不要なもの。

何か欲しいもの、あればいいなと思うもの、そう感じたものの必要性をほんの少しでも真剣に考えてみると、大抵「いらないんじゃないか?」という結論に至り、購買欲は途端に失せる。逆に衝動に身を任せて購入したものの中に、本当に必要だったものはどれぐらいあるかと思うと、自信もない。要は本当に欲しくて、なおかつ必要性が高いものを買う機会はそんなになかったんだということで。

 

以前、フジフィルムからX100というカメラが出た。今もモデルチェンジしながら継続している。クラシックなデザインに惹かれ、購入を真剣に検討していたが、考えれば考えるほど踏み切る理由がなくなってくる。

そこそこの値段ではあるが、本格的な一眼レフやそれに付随するレンズなどと比べると、まあ買えない値段ではない。

しかし、このX100は単焦点レンズだった。ズームできない。今思えば、私がズームを必要とするような場面で撮影することもあまりないだろう。近付けばいいんだし。

でもその時はズームができないというのがストレスに感じた。よく考えたつもりが、ある一定の思考パターンに陥っていた。

加えて、「…別に携帯(※当時)カメラでよくね?」という見も蓋もない脳内意見で、購買欲を急速に冷やしてくれた。

カメラを買うことが大きな目的になると、モチベーションの維持が難しい。まあ、そりゃいらねーんだけども。

そして決定的なのが、既にカメラを持っていたということ。大したカメラではない。が、ド素人で知識も技術もない、ただのゆるふわギャングはパシャパシャ撮ってキャハハウフフどまりなんだと。

今はそのカメラすら使わない。スマホでしか撮影しない。そりゃCanonNikonも苦戦するわねっていう。

 

モノを買うというのはつくづく勢いだと思う。理屈だけなら、買うものなんて最低限になる。食い物なんて栄養補給できりゃいいんだよってなもんだ。

それだと楽しくないから、浪費するのだ。経済を回すとかそんな御大層なものじゃない。買える範囲で買おうよと。

 

勢いが必要で、必要性を突き詰めるとそんなでもなくなる。

あれだ、結婚みたいなもんだ。

結婚したことないけど。

そこにある。

スカートがすき。

念の為断りを入れておくが、わたしには女装癖はない。多分。

澤部渡という100㎏を越える巨漢によるソロプロジェクト。それがスカート。白いリッケンバッカーが日本一似合う。他にいるか知らないけど。

先程も彼が昨年メジャーデビューを果たした名盤『20/20』を聴きながら、(特に愛してもいない)愛車を運転し、危うく事故りかけた。アルコールを切らした中毒者さながら震えが止まらなかった。止まらないのはロマンチックだけにして欲しい。

 

彼が今度新譜を出すにあたり、ツアーをやるという。わたしの青森には当然来ない。妥当な選択だ。ちくしょう。

しかし、仙台には来るという。チケットは確保した。去年も(仙台に)行ったが、カーネーション直枝政広が前座とかいう、漏らしそうな組み合わせだった。

ライブ自体は良かった。しかし、何となく「スカートとはどんなもんか見てやろう」みたいなインテリ気取りが多く、そんなんだったら来るんじゃねえ!と左手が疼く。骨折がほぼ治りかかったことからくる疼痛に過ぎないが。

 

田舎者に過ぎないわたしだが、仙台はどこか物足りない。よく言えばコンパクトシティのようなものなんだろうが、だからといって特に何があるというワケでもない。駅前にPARCOやらなんやらショッピングモールはあるものの、どこか地味。生活するなら便利だろうが、観光するには凡庸な地方都市感が強い。ここは地方なんだ。そう強く思わせる作りだ。

中心部から離れたところにベーグルUというベーグル専門店があり、仙台駅から電車に乗り、そこから「郊外だな」と感じさせる町並みを歩く。スカートを聴きながら。

『20/20』のオープニングを飾る『離れて暮らす二人のために』という曲がある。それがバッチリはまる。スカートの曲には物悲しさが付きまとう。付きまとうという表現が適切かは分からないが、それがたまらなく惹かれる理由かもしれない。

チョコベーグルは旨かった。しかし、仙台を訪れた際にまた行くかと言われたらどうか。自分は歳を取り、様々なことが面倒になっている。先のことを考えると楽観的では到底いられない。別に悲観にくれることもないが、輝かしい未来が待っているとは決して言えない。決して。

そんな気分にスカートは寄り添ってくれる。たまに泣きたくなる。泣くのではない。泣きたくなる。それがいい。そこがすき。それがリアルなんだと。

泣くことも怒ることも簡単だ。そういう風に、たとえば泣きたかったら自分を誘導するように感情を調節できるからだ。泣ける映画です!あれは泣くように自分の気分を高めているからだ。泣こうと思えば泣ける。泣くように気持ちをもっていけばいいんだ。

 

隔絶されたようにイヤホンを耳に装着する。そこから流れるのは遠ざけたはずの生活が聴こえてくる。それがいい。