1年を通りすがって

雪さえ降らなければ冬は好き。

もう2021年も終わりが近い。終末感を無駄に出す表現やってみた!

今年も新型コロナウイルスの年だった。何度目かの感染拡大から何度目かの緊急事態宣言を経てワクチンの効果、依然としたマスクと引きこもり傾向の継続もあいまってか、寂しいくらいに激減してしまった。

感染力が強いけど、毒性はめっちゃ弱いオミクロン株の登場により、マジでただの風邪になってしまう????みたいな空気を吸い込んではむせかえり、「あ、風邪ひいた」まで見えるぞ見える。

コロナは感染が小康状態にあるが、わたしの肥大は止まらない。明らかにフォルムが変わった。体重は昨年よりトータル5キロ増だが、夏頃から服がパッツンパッツンになった。

一年で恐らく1ヶ月ぐらいしか抜かなくなってしまったアルコール、手術&体の不調(と肥満)からくる走力の圧倒的な低下によるモチベーション低下〜運動不足、飲酒以外の食生活こそ変わらないが、だから変わってしまった。

つまりでぶです。痩せましょう。

 

今年はやることがたくさんあって詰め込みすぎてしまった。まとめてみた!

①なんとなく資格取得を試みた

②限界独身中年もマジ限界になるので、ダメ元でマッチングアプリに手を出した

③改悪を続ける楽天に何故かハマった

④要職に就いてしまった

大きく分けると以上四つなのである。これらを複数同時進行しすぎて実りと不作がどちらも多発してしまうことに。二兎追わないでね。

①〜③は年始からなのだが、仕事を除く生活の大半はこれらで占めてしまう。コロナで旅行も何も行けねえわけだし。

マッチングアプリは結果実ってしまった。めでたいのだが、それと酒に溺れたせいもあって試験は普通に落ちた。落ちるよな、と思ったら落ちた。勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなしである。

楽天は主にスキンケアやら家電に費やした。でぶのくせに。CLINIQUEとLABを中心に、意識高い系を装ってイソップやスリーに手を出したり、使いすぎたなと思ったのでオルビスやらファンケルでお茶濁し。基本的に公式で買うことを是とする、謎の義務感を発揮している。

要職に就いたから激務かと言われたらそうでもないが、仕事いきたくねえな。とは思い続けている。

オチもない。カネはある。といいな。

アントニオ

放置したって誰も困らないということ。特に書くことがなければログインしないということ。AndroidからiPhoneに変わったら、慣れるのに注力して存在を忘れてしまうこと。

プロフェッショナルを改めて尊敬してしまう。アマチュアなんてこんなもんです。

コロナが当たり前になりつつあり、その中でどうやって付き合おうかどうかに移行しているような気がする昨今、ここ青森では今更クラスターが発生し、全国的に停滞したあの日あの時あの場所よりもむしろヤベー感じ。ヤベ〜勢いでスゲー盛り上がる。

というかさ、地方では大して感染していなかった時に落ち込み、都市部がコロナありきで活動が活発になったら地方が二重でダメージ受ける展開だよね。死ぬわ。

今月末に柴田聡子の弾き語りライブが仙台であるのだが、今月頭までは「いや〜行けないだ!でしょ?」と口で言いながらも、どこか「まあ、気をつければ行けるよね?」とは考えていた。別にわたしは元気ピンピンなんだけれど、凄まじく行きにくくなってしまい断念せざるを得ないだろう(とかいう物言いが諦めきれなさを残す)。

まあ、元気があれば何でもできると、偉い人は言っていた。

実際に元気があるかは別として。

堕落論

ある日の休日。

パッと見ただけでは何もないような路面の継ぎ目に、左足を引っかけて炸裂音が生じた。二度見。何もない。

軽い捻挫。老いを感じる。オイオイ。追々。

地元で知り合いが営む飲食店で、ただ今コロナと共に大流行中のテイクアウト。

少なからず貢献できたらと思ったのに、帰り道でそんな目に。

テイクアウトした親子丼に、前日スーパーに売り出されていたサッポロクラシック。数年前から夏が近づくと見かけるようになった。

美味くないワケがない。

これは太る。わたしは確信する。防ぐ手立てもない。もはや太ることに抗うこともできない。流れ流れてOMRONの体重計がとんでもない数字を導きだすとしても。

ここ数ヵ月でビックリするほど太った。ぷよぷよ。心臓に軽度の異常が見つかり、気胸の手術をし、以前のようにはランニングも思うようにできなくなるストレス。飲酒に逃げて嫌悪感。コロナにかこつけて怠惰な生活。ああ、性根からして肥満体まっしぐら。

なんか、人生も終わってるね。そんな感じ。

だからといって、すぐに終わらないのもまた人生で。

このまま堕落しきるのも悪くないかも。

そんなに期待するなよ。元からそんなでもないよ。

まあ、いいこともあるよね。多分。

だって足は治ったし。ぷよぷよのままだが。

えー、セカイ系のようなことを言ってみま

物欲がない。

コロナからこっち、食べ物や生活雑貨のような日常的な物品ではない、何かを手に入れてやろうという欲が湧かない。

正確に言うと、ネットや雑誌を見てはいるけれど、だから欲しくなるとかポチってみる(死語)という展開にならない。見ているだけ。へんじがない。しかばねのようだ。

休日も暇だ。外出もしなくなり、家にいるだけ。何をしていたか記憶にないぐらい何もしていない。読書量は何故か減り酒量というか飲む機会が増えた。ここ数ヵ月は飲む日飲まない日が拮抗しているだろう。その割には酔いやすくなり残りやすくなっているのは明確だ。別に美味しいとも感じない。明らかに体重は増えているし、いいことなんて何もない。が、本来の自制心のなさがここに来て復活しているように思う。

4月は最長の禁酒期間が3日だった。ビール350mlを2缶までとかいう、アリバイ作りのようなルールは守っているけれども。大して飲んでいないあたりが、何というか見栄を感じる。崩れる覚悟もないのが生ぬるい人生を送ってきている証拠か。

コロナに関しては、遠方に住んでいる姉、弟の仕事にはそれなりに影響が出ているあるいは出るかもしれない。わたしには今のところ影響がなく、あったとしても職場がなくなってしまうような、危機的な状況になりにくい(ならないとは言わない)仕事をしている。

姉も弟も故郷を離れ、後ろ楯もなく踏ん張っている。それがわたしに羨ましいと思うし、まぶしくも映るし、後ろめたくも感じる。

物欲がない。

暇だ。

決して程度が高くはないものの、お金に心配はない。

しかし、二人はどうだろう。

家族もいる。

二人とも大丈夫とは言っているらしい。でも、本当の所どうだろう。不安は大きいと思うけど、想像でしかない。

10万円が給付されるが、端金だ。一瞬で消える。だから意味がある。貧困世帯や差し迫っているのなら保護や支援となる。使える人はパーっと使い、世間に役立てる。今後不安がある人は使いにくいだろうから、それはそれで貯蓄に回してもいいよね。 

使い道が思い付かないので、10万円給付されたら、姉や弟にあげようかな、という話を母にしていたら、母は父に話すと泣いたらしい。心の汗だ。

今日はこんなことがあったよ。

明日は何をしようか。

別に驚くような出来事なんてないけれど。

日常は決して退屈にはできていない。

自分のフィルターの照準次第なのだろう。

わたしが退屈なのは、わたしがみた世界が退屈なだけだ。

と、床に寝転がりながら言ってみる。実に説得力に満ち溢れている。

昨日は禁酒できた。今日もやってみよう。

数時間後には前言撤回しているかも。

言質はとらないでおこう。

惰性

白ワインはシャルドネ

ビールはヱビス

ウイスキーはスコッチ派

コーヒーはエチオピア

ミネラルウォーターはエビアン

スニーカーはローテク派

ボーダーシャツはagnes b.

ギターはES335派

ヘルスメーターはオムロン

絆創膏はジョンソン&ジョンソン派

ティッシュペーパーはネピア

サンリオはキキララ派

とりとめがないのでやめておこう

暇すぎる毎日に捧げるセレナーデ的な

サニーデイサービスの「いいね!」が瑞々しくて、何だかandymoriを思い出した。

フィオナ・アップルの新譜、素晴らしい出来だな。一人感心して。

熱気を失っている日本列島の中にあって、仕事は何故か忙しくなっていて。

 

休日の過ごし方を忘れてしまった。ちょっと前まではどうしてたか。それすらイマイチ現実感に乏しい。別に凄く充実した1日だったワケじゃないと思うけど。今はもう何をしていいのか、何をするべきなのか、しなくてもいいのかな?

趣味のランニングは、もう以前のように走れず、絶望すら感じる程に情熱を失ってしまった。体重が増えた。デブと呼んでくれ。飛べないからブタでもいいよ。下っ腹が出てしまい、加齢とストレスによるアルコール摂取がダイエットを阻む。弱い意思。低い代謝。地上から飛び立つ気配のないモチベーション。どうしてこうなった。ありがちな自己陶酔混じりの悔やみ。

面倒だから、地球が爆発してくれたらいいのにね。世界中のみんなが悩むこともなく、一瞬にして何もかもなくなるんだから、めっちゃよくない?

ポエムだな。うん。ポエムしかできない。

建設的な意見や興味深い投稿なんて、できやしない。何もないしね。

断っておくが、わたしは少なくともメンヘラではない。自分が病んでいることをネタにしよう、構ってもらおうなどとは微塵も思わない。手首切ってどうすんの?カミソリで少し傷付けた所で動脈に致命傷与えるのは難しいのでは。そもそもあいつら「誰か」に匂わせてからバスタブで軽く切りつけるでしょ?レクリエーション過ぎてイライラするわ。頸動脈を牛刀で首ごといったらんかい。

わたしは生きるのだ。いつか死んでしまうその時まで。やることがあるんだ。

多分。

コロナの風景

人生を振り返る。

まあ、大したことはなかった。平凡な人間だから。余生にも期待はしていない。往々にしてそんなものだろう。特別な人間なんてほんの一握りだ。ありふれた表現。こんな所に凡庸さが滲み出る。

だからダメなのか?いや、そうじゃないだろう。朝起きて、仕事に行って、帰ってきては寝る。ご飯が美味しかったり、あわただしく流し込んだり。

それでいいじゃないか。明日はそんなにいい1日じゃないかもしれないが、取り立てて悪い1日でもない。そんなことを思いながら、揺れ動く世界情勢を注視する。大袈裟。

ある意味、王様。ある意味、モブ。

世界史的に見ても、コロナ以前と以後では大きく変化していると記録されるだろう。911産業革命を越えるのかな。きっとそうだろう。

朝、通勤時にドラッグストアの前を通る。開店前なのに長蛇の列。ああ、今日はマスクの入荷日なんだね。自分の顔が冷めているのが分かる。いっそのこと地球が滅亡した方がいいかもね。そんな風に思う。何様のつもりだろう。

本当に危機感でそうしている人など、そんなにいないのではないか。結構な割合で、みんなそうしているから何となくそうしなきゃ、ぐらいで並んでいるんじゃないかな。そんな感じで視界を切り替える。ああ、凡庸な人たちがここにもいる。そりゃそうだ。みんな凡庸なんだから。

出口の見えない、あるかどうかも定かじゃない迷路はなんて苦痛なんだろう。ここは入口なのかな?五号目ぐらいには到達したのだろうか?

 

せめて心安らかに生きていかなければ。

明日は、明日が、明日こそは、いい日でありますように。