えー、セカイ系のようなことを言ってみま

物欲がない。

コロナからこっち、食べ物や生活雑貨のような日常的な物品ではない、何かを手に入れてやろうという欲が湧かない。

正確に言うと、ネットや雑誌を見てはいるけれど、だから欲しくなるとかポチってみる(死語)という展開にならない。見ているだけ。へんじがない。しかばねのようだ。

休日も暇だ。外出もしなくなり、家にいるだけ。何をしていたか記憶にないぐらい何もしていない。読書量は何故か減り酒量というか飲む機会が増えた。ここ数ヵ月は飲む日飲まない日が拮抗しているだろう。その割には酔いやすくなり残りやすくなっているのは明確だ。別に美味しいとも感じない。明らかに体重は増えているし、いいことなんて何もない。が、本来の自制心のなさがここに来て復活しているように思う。

4月は最長の禁酒期間が3日だった。ビール350mlを2缶までとかいう、アリバイ作りのようなルールは守っているけれども。大して飲んでいないあたりが、何というか見栄を感じる。崩れる覚悟もないのが生ぬるい人生を送ってきている証拠か。

コロナに関しては、遠方に住んでいる姉、弟の仕事にはそれなりに影響が出ているあるいは出るかもしれない。わたしには今のところ影響がなく、あったとしても職場がなくなってしまうような、危機的な状況になりにくい(ならないとは言わない)仕事をしている。

姉も弟も故郷を離れ、後ろ楯もなく踏ん張っている。それがわたしに羨ましいと思うし、まぶしくも映るし、後ろめたくも感じる。

物欲がない。

暇だ。

決して程度が高くはないものの、お金に心配はない。

しかし、二人はどうだろう。

家族もいる。

二人とも大丈夫とは言っているらしい。でも、本当の所どうだろう。不安は大きいと思うけど、想像でしかない。

10万円が給付されるが、端金だ。一瞬で消える。だから意味がある。貧困世帯や差し迫っているのなら保護や支援となる。使える人はパーっと使い、世間に役立てる。今後不安がある人は使いにくいだろうから、それはそれで貯蓄に回してもいいよね。 

使い道が思い付かないので、10万円給付されたら、姉や弟にあげようかな、という話を母にしていたら、母は父に話すと泣いたらしい。心の汗だ。

今日はこんなことがあったよ。

明日は何をしようか。

別に驚くような出来事なんてないけれど。

日常は決して退屈にはできていない。

自分のフィルターの照準次第なのだろう。

わたしが退屈なのは、わたしがみた世界が退屈なだけだ。

と、床に寝転がりながら言ってみる。実に説得力に満ち溢れている。

昨日は禁酒できた。今日もやってみよう。

数時間後には前言撤回しているかも。

言質はとらないでおこう。