わたしの甥。
遠くに住む弟夫婦に第一子が誕生した。
男の子だ。
多分、青森出身者でその地域に転勤や進学を除いて…縁もゆかりもなく、一時的なものでもなく、普通に移住している人間はかなり少ないのではないかという地域。
結婚して、すぐに奥さんに子どもができた。昨年、結婚するにあたり、二人で遠路はるばる来青した。それから程なくして妊娠。展開が早くね?とは言わないが。
両親は何度か足を運んでいるが、何せ遠い。思い付いたから簡単に行ける土地ではないので、色々と都合をつけるのも簡単なこととは言えない。
そんな事情もあり、わたしがそこへと訪れたことはない。恐らくは、こういうことがなければ足を踏み入れることもなかっただろう土地に、弟は生涯の伴侶(古い表現だな)と出会い、血脈を繋いだ。
わたしは結婚していない。
恐らくは独身のまま、一生を終えるだろう。
覚悟というには曖昧で、なんだか傍観者のように冷めた感覚。そんな感じ。
姉は結婚して結構な年数が経つが、子どもはいない。
事情は分からないし、聞こうとも思わない。
親も干渉しようとはしない。これから姉夫婦に子どもはできないだろう。
別に結婚と子どもはワンセットではないし、子どもがいないからといって、家庭のヒエラルキーが発生するなんて実に馬鹿げている。
独身者と既婚者の間には社会的な差はある。それはそうだろうし、そうでなければ形成されないものは山程ある。
だからといって、人間としての差があるワケではない。
いずれにしても、それはそうなんだが。
孫が生まれ、写メや動画が送られ、それに喜び、感慨深げに孫の顔を見て、体を触って、あやして、様子を聞いてはニコニコと。
わたしも嬉しく思ってはいる。
同時に感じるのは罪悪感なのか。
人はいつか死ぬという、当たり前すぎな、ありふれすぎた文句。
彼と彼女には自分が老い、子どもたちもそれなりに歳を重ね、人生の先なのか終わりなのか、本当の所、よく分からない何かが見えている。
孫の顔が見たい。
姉には(恐らく)言ってないだろうし、わたしにも言わなかった。
社会的なものもあるから、結婚はしておかないと…とはしょっちゅう言われるけれど。
言い換えていたようなものだったのだろう。
両親が初孫の顔を、直接見ることは中々できないだろう。
楽しい時間もリミット。別れを惜しむ思いが、表に強く出ていたのは、普段は結婚の話題を口にしない父だった。
とりとめのない気持ちをブログに綴れば、少しは整理できるのかと思っていた。
全然、まとまらない。