愛を込めて。だから何だというのか。

昔、一番好きだった異性のどこが好きだったか。高校の同級生。なかなかの見た目で、同じクラスで席も近くて、そこそこ話しかけてくれて…ぐらいしか思い出せなかった。しかし、わたしの人生の中で一番好きだった。確実にそう言える。その人には好意を伝えるまでもなく、しかし友達にはバレバレで、接触する度に冷やかされて。でも進展がありそうな感じがないのは、自分でも弁えていて。古き(良きとは言わない)青春時代の片思いを絵に描いたような。

卒業を迎えて接点は途切れる。その人とは、そのままだった。かなり前に見かけたような気がするが、確かめられなかった。恐らくだが、恋人か伴侶のような相手を連れていたので。ただし、ショックはなかった。その人はモテるだろうし、別に不思議じゃないし、そもそも、そんなことも普通だし。

一応わたしにも、付き合っていた相手は何人かいる。相手は、自分のうぬぼれと言われたらそれまでだが、付き合う前から、私が相手に感じる好意よりも、相手がわたしのことを好いてくれていたパターンばかりだ。

幸せなことかもしれない。けれど。

わたしは様々な理由をつけては、その都度相手との関係を終わらせてきた。その好意に甘えていただけでしょ?と言われたら返す言葉もない。

わたしは、わたしが心の底から好きだと言える相手と付き合ったことがない。付き合った相手は皆、いい人だった。好意もあった。

恋愛至上主義とかいうのは受け付けないのだけれど、わたしは燃え上がる程の恋愛をしたことがないのかもしれない。少なくとも(付き合うところまででも)成就していない。

片思いにしかならないか、何だかやたら好かれるか(やっぱりうぬぼれにしか聞こえないな)のパターン。

想うこと、想われること、どちらが良くて、どちらが幸せで、などと語るつもりはない。

わたしは想いを遂げることができない。

わたしは想いを寄せられても、それを本当に受け入れられない。

それだけ。

ただ、それだけなのに。

所詮はテキトーである。

仕事が忙しい。

普通にしてても息が上がる。

でも原因不明。

 

動く不協和音となっている令和オクトーバー@青い森の片田舎。相変わらず厳しいランニングの最中、買ったばかりのJaybird RUN XTが突然起動しなくなり、間に合わせでJBL FREE Xを使っている。音はJaybirdの方がいい。JBLはドラムのハイハットがめっちゃキンキンしてうるせえ。しかし、接続はこちらの方が(今のところ)良好。ていうか、Jaybirdが不安定過ぎ。

様々な分野で!新興メーカーはとあるスペックや先進性に特化しすぎて、肝心な部分が脆弱なパターンが多い。売り出し方のインパクトに抽出しすぎるぐらいじゃないと、市場で最初の一歩を踏み出せないのだろう。まあ、ベンチャーは、そんなもんである。

 

歴史というのは深いものだ。伝統というのは重いものだ。新しいというのは浅いものだ。新進というのは軽いものだ。

よくいえば、わるくいえば、だが。

いつか、いつの日か、死の床に臥せるとして、深く重い人生に達することが、わたしにできるのだろうか。

と、思考にふけっている。

 

ビールでパッパラパーなんだけどね。

近況

絶賛体調不良。7月くらいから走っていても息が上がる。キツい。というのを繰り返していたら本格的に調子が落ち、先月の終わりに東京へ研修に行った際、講義中に何だか息苦しくなり、翌日とまた翌日も苦しさが付きまとい、帰りの新幹線では胸や肩に軽く痛みが走る。

ああ、これは気胸再発かと思いきや、近くの内科では全く問題なし。休めば良くなる?と。納得いかず数日後に、以前の気胸で入院した病院へ。やっぱり問題なし。納得いかないまま。しばらく走るのも休み、それでも良くなった感覚に乏しく、鼻づまりと喉の詰まりも同時にあったので耳鼻咽頭科に。鼻にチューブ(前田)を突っ込んだのに問題なし。納得いかないとかじゃなく、もう知らんよ。

走っても、やたらガーミンの心拍数高いし、やっぱり息が上がるし、二週間走らなかったのでまさかの筋肉痛になるし。どん詰まり。

仕事は2ヶ月間丸々忙しく、ストレスと疲れ以外に、このバッドコンディションを説明できる要素ゼロ。うーん、でも肺関係だと思うんだよね。

 

それでも音楽と本、コーヒーとビールがあれば、何とか生きている。

今村夏子は超天才だけど、芥川賞受賞作は彼女の過去作に比べると一段落ちるな、とか、ハイネケンは日本で言うスーパードライ的だけど、ずっと柔らかいから好きだな、とか。それはそれで結構楽しい。

不安はあるけれど。

つなぎ。

夏は暑い。

今年は冷夏になる???という話を聞いた記憶もどうやらパラレルワールド。そろそろ気温も下がってきてはいるものの、残暑が待ち受けている。待った?今来たトコ。

祖父がなくなり、かれこれ3ヶ月。最近思うのは、数年前に比べて酒量が増えた。週に一度飲むかどうか、程度のビギナードリンカーだったのが、週に3、4と飲むようになった。一回につき、せいぜいビール350ml1、2本ぐらいだけど。

体調も芳しくなく、日々ネット検索でそれらしい症状をGoogle様にお伺いを立てている。オッケーグーグル!もしかすると……。

色々あると、むしろブログも滞る。

何だかやる気は起きない。とりあえず今日はこの辺で。

 

おじいちゃん。

祖父が亡くなった。

母方の、大正生まれの祖父は祖母の死去後、しばらくして介護施設に入所していた。勿論衰えてはいたものの、実に元気で快活、頑丈な人で体調を崩すことはあってもすぐに持ち直したりする。あと数年は生きるのだろう、と思いきや先月上旬に体調が急変し、酸素吸入を装着していては、会話もなかなか覚束なくなり、以降わたしは彼と意志疎通を図ることのできるような、そんなやりとりができずに逝ってしまった。

親しい誰かの人生の終わりに直面する度に、自分の人生もいつか終わるのだろう。そんなことをふと考えては物憂げになり、また明日も普通に生きていく。リアルではあっても、まだまだリアリティは持てない。

わたしの父はわたしが小学生の時に大病を患い、母はその付き添いの為そこそこ離れた病院に泊まりがけになった。わたしとわたしの姉は祖父の家に預かってもらうことになり、朝に車で自宅まで送られ、登校することになった。

祖父の家=母の実家は隣町にあり、車で10分程度でわたしの住む町に着く。たかだがそれぐらいの距離を、緑のワゴン車で送られるのだが、両親が一時的に不在で寂しいだろうわたしたちを想ってのことだろう、めちゃめちゃにスピードを上げて飛ばし、わたしたちがキャッキャする場面を演出していたのを思い出す。

あの時、わたしたち…少なくともわたしが仮に一瞬とはいえ、寂しさも憂鬱も感じることなく楽しさに身を委ねていられたのは祖父の気遣いのおかげだ。

豪快な人だが、頭が良くて繊細に気を配る人なんだと、改めて思う。祖母も大変に面倒をみてくれた人で、陳腐でありふれた表現になるのは分かっていても、わたしは大きな愛情に包まれて育ったということを叫ばずにはいられない。

彼は生前、自身が身につけていた時計をわたしに形見として譲ると言っていたらしい。そして、その時計は今、わたしの手元にある。

凄く価値があったり高級である、という代物ではない。正直な話。

しかし、何よりもいとおしく、心の奥底に居座るような存在になっている。

宝物というのはそういうものである。

人生で初めて理解したような気がする。

ラーの鏡

これから令和と共に生きていくのだ!

そりゃそうだろ、ぐらい当たり前といえば当たり前のフレーズなんだが、こうやって文字にすると、何となく開戦前に兵士を鼓舞する武将みたいな大仰なセリフに聞こえる。どうせみんな屍さ。

連休もそろそろ終わり。ぶっちゃけ何の予定も立てない連休は暇ですることがないので、ついつい片付けをしたりHDDの整理をしたり、懐かしいCDやDVDを垂れ流し、結果むしろ時間が早く過ぎて徒労感が半端ない。気づけば毎日が日曜夕方笑点状態に陥っている。小遊三の着物が青じゃなくて水色な理由、特に考えたことがない人生だったな。

 

GW中にも様々な事故や事件が起こった。スマホパシャパシャ&ムービー全盛時代において、あらゆる瞬間が撮影され、ネットやTVで共有されることになったのは平成最大のレボリューションかもしれない。

気になったのは事件の被害者が若年層だった場合、参考画像としてプリクラが採用されていたりする。いや、それしかないなら仕方ねえのだ。でも、多分そんなことねえのだ。今や芸能人でもない、一般ピープルも自撮り三昧かつ修正地獄の最中にあるのだ。いくらでもあんだろ、と思う。思うのだが。

昭和の出し殻のようなわたしにとって、現代のプリクラは化け物作成マシーンにしかみえない。若者はグレイを知らないのだろう。いやいや、HOWEVERぐらいならおっさんのカラオケで耳にするだろう、という戯れ言はともかくとして。散々宇宙人のイメージとして焼き付けられたグレイの方だ。

大きすぎて避けたような黒目、張り出ている額に対して☑️のような三角すぎる顎。プリクラによって地球人はすべてグレイに変化させられてしまう。あれだ。あれだぞ?いつの間にかあれになってしまい、デジカメからスマホの隆盛を経ても廃れず、ヤングはあれをそれなりに活用している。で、出来上がりはあれなんだ。

しかし、ふと思ったのは「あれ、整形顔じゃん」じゃんなんじゃん?ということ。マジでどれぐらいしっかりと集計したかは知るよしもないが、なりたい顔ランキングの上位、ヘタしたら一位は某セクシー女優なのである。確認すると、なるほど、と思わされる整形顔なんだ。芸能人は整形と切っても切れない関係だろうが、それでも天然っぽい美人より、作画の安定しない漫画家のように整形を重ねる人工美人が人気とは。

ん?ちょ、待てよ(きむらたくや)

なりたい顔、とはどうやってもなれないけれど、なれるもんならなってみたい程の顔ではなく、どうにかこうにかしてみたらなれる…作れる顔ということか?(ここまで一息)

なりたい=憧れではなく、なる=変わる=整形となる。そうすると整形顔がなりたい顔として人気を博すのは理解できる。KーPOP関係の顔とかメイクがガールズに人気があるのも、そういう部分が強いのかも。わたしはみんな同じ顔で困惑するのだけれど。もう、昔とは違って整形にも抵抗がない人、特に若い世代を中心に多くなったように感じる。

あるいはスマホ写真ですら修正が当然になり、変えることそのものに違和感がないのか。虚しくないんだろうか。せっせと不細工な自分を写真上だけでも、よりよく見せようとするその背中の煤け具合。マジ空虚。

修正しなくちゃ!と脅迫観念にとらわれているなら、修正後が本当の自分とか思い込んでいるなら、それこそ病(やまい)だろう。

すっぴんとか言っておいてしっかりすっぴん風のメイクはしているのはまだいいが、黒カラコンは外さないの、むしろそれも含めて自分の顔だという認識なんだろう。ぬえのような話である。ぶっちゃけ黒カラコン、気味悪いぞ。

 

そういえばグレイも黒目しかない。やはり睨んだ通り、リバイバルしているらしい。

まさか、わたし以外はみんな宇宙人に連れ去られて改造されているのでは!(陰謀オチ)

別に夢はないのだが。

田舎とは欲しいものが手に入らないエリアである。

例えばJames BlakeもTORO Y MOIも柴田聡子も、それらの新譜が手に入らないのだ。

HMVオンラインではTORO Y MOIが取り寄せ扱いで二週間以上遅れての受け取り。

今時CDで買おうとするからでは?と言われたら元も子もないのだけれど、欲しいものは欲しい。もっと欲しいもっともっと欲しい。

 

田舎と言えど、いかにCD販売が死に体であるかを物語っているワケだが、それでもJames Blakeは仕入れてほしかった。文化も教養もいらないコミュニティという判断。カスタマーか店頭にでもクレーム入れてやろうかしら。

 

UNIQLOは懐かしの+Jからルメールあたりの商品は(マジで)ごく一部のみ、スポーツショップとは名ばかりのジャージ売場、スタバ開店に大行列エトセトラ。

選択と集中と言えば聞こえはいいのだが、ぶっちゃけ切り捨て。

この程度だからこの程度でいいよね?ってなもんで。

まあ、そんなもんだ。今さら分かりきったことを。

どうせ死にゆく身だ。手足を縛りつけられたワケでも五感を封じられたワケでもない。

ここにいてもどこかへ行けるし、何かを見たり聞いたりできることに変わりない。

ただ、物足りない。それだけだ。

酒が旨い。どうもありがとう。

 

追伸:ナンバーガール東名阪ツアー抽選、普通に外れた。ちくしょう。