おじいちゃん。

祖父が亡くなった。

母方の、大正生まれの祖父は祖母の死去後、しばらくして介護施設に入所していた。勿論衰えてはいたものの、実に元気で快活、頑丈な人で体調を崩すことはあってもすぐに持ち直したりする。あと数年は生きるのだろう、と思いきや先月上旬に体調が急変し、酸素吸入を装着していては、会話もなかなか覚束なくなり、以降わたしは彼と意志疎通を図ることのできるような、そんなやりとりができずに逝ってしまった。

親しい誰かの人生の終わりに直面する度に、自分の人生もいつか終わるのだろう。そんなことをふと考えては物憂げになり、また明日も普通に生きていく。リアルではあっても、まだまだリアリティは持てない。

わたしの父はわたしが小学生の時に大病を患い、母はその付き添いの為そこそこ離れた病院に泊まりがけになった。わたしとわたしの姉は祖父の家に預かってもらうことになり、朝に車で自宅まで送られ、登校することになった。

祖父の家=母の実家は隣町にあり、車で10分程度でわたしの住む町に着く。たかだがそれぐらいの距離を、緑のワゴン車で送られるのだが、両親が一時的に不在で寂しいだろうわたしたちを想ってのことだろう、めちゃめちゃにスピードを上げて飛ばし、わたしたちがキャッキャする場面を演出していたのを思い出す。

あの時、わたしたち…少なくともわたしが仮に一瞬とはいえ、寂しさも憂鬱も感じることなく楽しさに身を委ねていられたのは祖父の気遣いのおかげだ。

豪快な人だが、頭が良くて繊細に気を配る人なんだと、改めて思う。祖母も大変に面倒をみてくれた人で、陳腐でありふれた表現になるのは分かっていても、わたしは大きな愛情に包まれて育ったということを叫ばずにはいられない。

彼は生前、自身が身につけていた時計をわたしに形見として譲ると言っていたらしい。そして、その時計は今、わたしの手元にある。

凄く価値があったり高級である、という代物ではない。正直な話。

しかし、何よりもいとおしく、心の奥底に居座るような存在になっている。

宝物というのはそういうものである。

人生で初めて理解したような気がする。