わたしとナンバーガール(作文)

例えばあの子は透明少女

このフレーズを初めて聞いてから20年くらい経つが、未だに意味が分からないけれど、条件反射で何らかのスイッチが入る。

何のスイッチなのか説明もできない。

99年、つまり前世紀に北海道で開催されたライジングサンロックフェスティバル。

当時はrocking'on社が主に関わっており、そこからロックインジャパンを発足するに至り、その過程で何だかんだあった(らしい)元BLANKEY JET CITY浅井健一とそのマネージャーに、当時の編集者がぶん殴られる事件が起こったのは、ナウなヤングには知る由もないけども。

この初開催にわたしは参戦しており、そこには件のブランキー、ミッシェルガンエレファント、スーパーカーや、当時世間的にも大ブレイクしていた椎名林檎ドラゴンアッシュらが名を連ねていた。

その中にナンバーガールがいた。

まだメジャーデビューしたばかりの新人にも関わらず、大抜擢された彼らは半袖シャツの轟音ギターを掻き鳴らすメガネだった。

すごいメガネだと思った。

それから数年の短い活動期間で、世間的には売れたと言い難い程度だったものの、日本のロック史に残る名バンドと記憶されている。

 

そのナンバーガールが復活する。

わたしが最初に目撃したのは札幌。

最後のライブは見ていないけど札幌。

その札幌、ライジングサンで復活する。

一度解散した理由はベースの中尾憲太郎が脱退するにあたって…ということだった。

中尾は出自からしハードコア・パンク的なベーシスト。

メジャーデビュー当初までのギャリギャリギターロックから、徐々に音楽性を変化させていた中で、ボーカルでソングライターの向井が常に製作の主導者だったのは誰の目にも明らか。

解散後に短期間ではあるもののZAZEN BOYSで共に活動するドラムのアヒト・イナザワナンバガの象徴的ともいえるギターを掻き鳴らす田渕久子は、依然として代えが効かない存在。

中尾が必要にされていなかったワケではないだろうが、中尾としては自分の好きな?音から離れていったことと、バンドにおける存在意義に疑問を持ったのかもしれない。

解散後の向井の、ZAZEN BOYSなどにおける音楽を鑑みるに、活動を続けても中尾が欲するであろう方向からは離れていっただろうし、むしろ見切りが良かったとも言える。

 

解散後は全員が音楽を諦めることなく、それぞれの活動に邁進していく。まあ、アヒトがZAZEN脱退後、バンドを結成してボーカルを務めた時は、さすがに???となったけど。

彼らの再結成については考えられないというより、各々がマイペース過ぎるので、無関心なんじゃなかろうかと思っていた。

仲違いして(と似たようなもんで)解散したスーパーカーよりは遥かに可能性はあったが。

 

再結成て、いざしちゃえば(少なくとも表面的には)割と仲良くやってそうな感じがあるんですよね。

若い頃に比べて寛容になったり割り切れるようになったり。

例え目的として、金銭的な面が強かったとしても「これはビジネスだ」と枠を決めてしまえば、案外考え方はクリーンにまとまるのかな、と。

昔、シロップ16gの再結成ツアーを見に、東京国際フォーラムまで行ったことがある。

2階席で遠かったけれど、感慨深いってこういうことなのかなと。

 

ナンバーガールはツアーもやるという。

そこには抽選で申し込んだ。

が、やはり再結成一発目で特別な意味合いのある札幌には行きたい。

 

ライジングサンに行けるかどうかは、まだ分からないがとりあえず述べて欲しい。

「福岡県博多市からやってまいりましたナンバーガールです」と。

 

すごいメガネがそこにいるだろう。