少子化時代を演出している一個人の懺悔

必要なものと不要なもの。

何か欲しいもの、あればいいなと思うもの、そう感じたものの必要性をほんの少しでも真剣に考えてみると、大抵「いらないんじゃないか?」という結論に至り、購買欲は途端に失せる。逆に衝動に身を任せて購入したものの中に、本当に必要だったものはどれぐらいあるかと思うと、自信もない。要は本当に欲しくて、なおかつ必要性が高いものを買う機会はそんなになかったんだということで。

 

以前、フジフィルムからX100というカメラが出た。今もモデルチェンジしながら継続している。クラシックなデザインに惹かれ、購入を真剣に検討していたが、考えれば考えるほど踏み切る理由がなくなってくる。

そこそこの値段ではあるが、本格的な一眼レフやそれに付随するレンズなどと比べると、まあ買えない値段ではない。

しかし、このX100は単焦点レンズだった。ズームできない。今思えば、私がズームを必要とするような場面で撮影することもあまりないだろう。近付けばいいんだし。

でもその時はズームができないというのがストレスに感じた。よく考えたつもりが、ある一定の思考パターンに陥っていた。

加えて、「…別に携帯(※当時)カメラでよくね?」という見も蓋もない脳内意見で、購買欲を急速に冷やしてくれた。

カメラを買うことが大きな目的になると、モチベーションの維持が難しい。まあ、そりゃいらねーんだけども。

そして決定的なのが、既にカメラを持っていたということ。大したカメラではない。が、ド素人で知識も技術もない、ただのゆるふわギャングはパシャパシャ撮ってキャハハウフフどまりなんだと。

今はそのカメラすら使わない。スマホでしか撮影しない。そりゃCanonNikonも苦戦するわねっていう。

 

モノを買うというのはつくづく勢いだと思う。理屈だけなら、買うものなんて最低限になる。食い物なんて栄養補給できりゃいいんだよってなもんだ。

それだと楽しくないから、浪費するのだ。経済を回すとかそんな御大層なものじゃない。買える範囲で買おうよと。

 

勢いが必要で、必要性を突き詰めるとそんなでもなくなる。

あれだ、結婚みたいなもんだ。

結婚したことないけど。