そこにある。

スカートがすき。

念の為断りを入れておくが、わたしには女装癖はない。多分。

澤部渡という100㎏を越える巨漢によるソロプロジェクト。それがスカート。白いリッケンバッカーが日本一似合う。他にいるか知らないけど。

先程も彼が昨年メジャーデビューを果たした名盤『20/20』を聴きながら、(特に愛してもいない)愛車を運転し、危うく事故りかけた。アルコールを切らした中毒者さながら震えが止まらなかった。止まらないのはロマンチックだけにして欲しい。

 

彼が今度新譜を出すにあたり、ツアーをやるという。わたしの青森には当然来ない。妥当な選択だ。ちくしょう。

しかし、仙台には来るという。チケットは確保した。去年も(仙台に)行ったが、カーネーション直枝政広が前座とかいう、漏らしそうな組み合わせだった。

ライブ自体は良かった。しかし、何となく「スカートとはどんなもんか見てやろう」みたいなインテリ気取りが多く、そんなんだったら来るんじゃねえ!と左手が疼く。骨折がほぼ治りかかったことからくる疼痛に過ぎないが。

 

田舎者に過ぎないわたしだが、仙台はどこか物足りない。よく言えばコンパクトシティのようなものなんだろうが、だからといって特に何があるというワケでもない。駅前にPARCOやらなんやらショッピングモールはあるものの、どこか地味。生活するなら便利だろうが、観光するには凡庸な地方都市感が強い。ここは地方なんだ。そう強く思わせる作りだ。

中心部から離れたところにベーグルUというベーグル専門店があり、仙台駅から電車に乗り、そこから「郊外だな」と感じさせる町並みを歩く。スカートを聴きながら。

『20/20』のオープニングを飾る『離れて暮らす二人のために』という曲がある。それがバッチリはまる。スカートの曲には物悲しさが付きまとう。付きまとうという表現が適切かは分からないが、それがたまらなく惹かれる理由かもしれない。

チョコベーグルは旨かった。しかし、仙台を訪れた際にまた行くかと言われたらどうか。自分は歳を取り、様々なことが面倒になっている。先のことを考えると楽観的では到底いられない。別に悲観にくれることもないが、輝かしい未来が待っているとは決して言えない。決して。

そんな気分にスカートは寄り添ってくれる。たまに泣きたくなる。泣くのではない。泣きたくなる。それがいい。そこがすき。それがリアルなんだと。

泣くことも怒ることも簡単だ。そういう風に、たとえば泣きたかったら自分を誘導するように感情を調節できるからだ。泣ける映画です!あれは泣くように自分の気分を高めているからだ。泣こうと思えば泣ける。泣くように気持ちをもっていけばいいんだ。

 

隔絶されたようにイヤホンを耳に装着する。そこから流れるのは遠ざけたはずの生活が聴こえてくる。それがいい。