恋はいつも幻のように(ホフディラン)

新幹線の中からお送りする今回。

いつも新幹線から酔いに任せて投稿しているのは気のせいではない。今も酔っている。ふー!酔っぱらってはいない。違いが分かるかな?ふー!

気が向かなければブログは書かない。普段は本を読んだり音楽を聴いたり、仕事したりなんやかんやで余裕がない。ねえよ。

今日は仙台に向かっている。明日は休みをとっている。「休み」と打ったら「八住」と出やがった。そんな文字を打ったことはないし、全国の八住さんには悪いが人生で八住という名字を書いたり打ったりすることもなければ、目にすることもない人間はどれくらいいるかという話である。どれくらいいるかは知らないし調べない!知らない!

新幹線でアルコールを嗜む(あくまで上品なフリ)のはいつ頃からだったか。多分ここ3、4年くらいのことかも。それまではプシュッという音が鳴る度に「このアル中が!」とアル中でもないかもしれない人々を蔑んだものだが、新幹線は長いのである。東北新幹線で言えば岩手はヤベーのである。ワープさせてくれるなら、あと1、2万くらいは払う構えだ(あくまで構えだ)。 

距離にもよるが、大体ビールを350ml缶を2本。そこに読書と睡眠を交えればなかなか快適な時間を過ごせる。それでもトリスハイボールやチューハイ、発泡酒を飲んでいる輩とは違うんだという自負にもならない自負はある。そしてスーパードライではない。エビス、プレモル、時期にもよるがサッポロクラシック、プラス黒ラベルの限定醸造的なものしか飲まない。プレモルも限定的なシリーズしか飲まない。意識が高いのである。次元は低いのは分かっている。

到着する頃には酔っている感覚はあるが、行動に支障がないというバランス。完璧なのだ。これが3本空けたとか500mlになると途端に崩れ去ってしまう繊細で儚く悲しげな物語になってしまう。泡のように消えてしまうのだ。ビールだけに。

…おやすみなさい。