人はいかにして読書に臨むのだろうか(新書)
フィッツジェラルドの短編集を読んでいる。いささか、登場人物の趣味嗜好を始めとする舞台設定は同一性がみられるのだが、飽きずに読んでいられる。面白い。
話の流れを緻密に組んではいても、がんじからめのような複雑さではなく、シンプルな─ともすれば簡素な─登場人物たちの会話や一定のテンポを失わない小気味良さは実にクラシック(悪い意味ではなく)であり、現代にあっても普遍性を保っていられる。
むしろ、現代文学のニュースクールを勘違いしているのではないか?と思わんばかりのサイケデリックな作品にいささか辟易することもある。こちらは品がありクール。落ち着きがある。ジャズっぽい。
…あー、村上春樹だな。
わたしは読書が好きであるが、書評家のような明晰で多岐に渡り、かつ膨大なデータベースを当然のように備えた人たち。彼ら彼女らにはなれないだろう。いっちょかみであるからして。
でも好きと言っていいだろう?なあ。
個人的に読書が進むのは電車の中だ。やることがないからだ。新幹線はベストだ。マジでやることがなくなるからだ。でもバスはダメだ。あれは酔う。
2番目はアルコールと共に、だ。酩酊というのはよいものだ。あれこれと物事ができなくなる。シラフの状態は色々と思考ができる、行動ができるが故に、一定の集中力を保てない場面が出てくる。なので、酩酊に持ち込めば他のことなんか知らねえぜ!状態に持ち込める。後のことは知らない。知ったところでわたしは酩酊する。
しかし、酩酊と電車は相性がよくない。普通の電車ならしっかりしないといけないね?ってことで読書どころじゃない。新幹線はアレだ、眠い。ページをめくる手が老い先の短い病人のごとく震える。特段誰にも会いたくないけど震えてしまう。
カフェは意外に捗らない。個人的には、だが。カフェで勉強してる人はいるけどね、わたしはあれ無理。PCで作業はできる。スマホでブログ書けるし、でも勉強は無理。雑念が入りすぎる。電子機器(古い)ならサクサクいける。
図書館は静かすぎて落ち着かない。「はいどうぞ(クイッ)」とセッティングが効きすぎているのでむしろ気を使う。
ここまで並べてみたところ、なんかシチュエーションが限られてね?と思考にふけてみる。2、3秒のことだが。
わたしは酩酊する。読書は好きだ。
酩酊はもっと好きだ。それだけの話をしてみたのだ。ゴクゴク。