夏なのにスプリング

アニメには特に詳しくもない。

ジブリやディズニーはともかく、冗談抜きでTV版エヴァの段階で時間が止まっている。

ああ、電気グルーヴの『モノノケダンス』が墓場鬼太郎に使われているのをリアルタイムでは知っていた。まあ、観たことはないが。

 

漫画はそこそこ分かる。マジでそこそこなので、「そこそこ」以外に表現できない。

TVで放送されるアニメは大抵、漫画が原作だと思うのだが、漫画よりアニメの存在感が大きい作品もあるだろう。

それを世間からとするか、ファンからとするかでは結構なズレもあるだろう。

 

ちびまる子ちゃんはアニメが一人歩きするぐらい、原作とは乖離した存在に思えた。これは世間からの見方だろう。

 

さくらももこ氏の死去が伝えられた。

今朝がた、某TV番組からはアニメの映像をふんだんに盛り込みながら(他局なのに)、アニメとしての存在を大々的に伝えられた。

「アニメの舞台となったのは」

「アニメの登場人物のモデルは」

漫画が原作で、舞台はそのままだし、登場人物も(さくらももこ氏が脚本を書いていたらしいとはいえ)漫画からがほとんどだろう。

 

さくらももこ氏がアニメに対してどう思っているか、知るす術もないが、普通に考えて大変無礼なものだろう。漫画家がアニメに提供した漫画の存在をスルーされたのだから。

しかも自分の死に際して。

 

ただ、TVからみれば自分たちのテリトリーだからことさら大きく(それが故人を冒涜するものに聞こえたとしても)アニメをクローズアップしたと考えれば、理解できなくもない。共感しないが。

特に世間への影響力自体が薄れていっている彼らにとっては、自分たちの手柄だと改めてアピールしたいのではないか。

だからどうだと聞かれたら、やっぱり無礼だとしか言いようがないけれど。

 

話は変わるが、さくらももこのエッセイストとしての才能は凄かったと思う。

昔、読んだエッセイは子供ながら大変面白く読めた記憶があり、今おぼろ気ながら振り返ると、やはり素晴らしいエッセイだった。

本人が学生時代にエッセイの才能を教師に絶賛され、それを漫画に落としこんだというだけでも異能の持ち主であるが、なるほど彼女の作品はストーリーではない。

オフビートとも言えない間の取り方。

ワードではない、センテンスが感じられる。エッセイと言う他ない。

 

ふと、彼女は漫画家になりたくてエッセイを取り入れ、後にそれを本業同様あるいはそれ以上に絶賛される状況を、どう感じていたのか気になった。

ずっと戸惑っていたのか。それとも途中から割り切ったのか。むしろその方が楽しかったのか。

もしかしたらアニメの成功も、それによる漫画の(相対的な)影の薄さも、特に何とも思っていなかったのかもしれない。

ああ、やっぱりセンテンスの人かも。

全て飲み込めるキャパシティがあったのかも。

そうするとますます異能。特大レベルの。

 

まあ、TVの放送は最低だと思うけど。