夜のコンビニ、マジで外国人しかいない東京について

東京に来ている。

これから帰るのだが。

 

今回遠路はるばる遊びに来たのは

ceroが主催する『traffic』というフェス的なライブの為。

去年も来たんですけどね。

地元にceroは来ません。あのヤロウ。

 

わたしの地元は青森。

田舎といえば?と問われたら一、ニを争う支持を集める追いかけて雪国。

そしてわたしが住んでいるのは

県庁所在地の青森市ではなく

唯一の国立大がある弘前ではなく

津軽地方の小さな町。

 

特に何があるわけでもなく

コンビニすらない山奥というわけでもない。

別に有名でもないが限界集落のような危機感もない。

 

わたしも愛しているとは言えない。正直思ったこともない。

しかし、吐き気がするほど嫌いだとは言えないし、ユルい絶望感と虚無感を持ちながら日々を過ごしている。

 

ふと、なぜ東京に出てこなかったのだろうと考える時がある。

 

チャンスはまあ、いくらでもとは言わないがそれなりにあったハズ。ハズ。

でも、若いうちは東京への憧れといったものは恐ろしいぐらいになかった。

わたしには吉幾三ほどのエモさはなかった。

諸事情もあり、東京へ住まいを移すことはできない。いや、やろうと思えばできるだが、様々なしがらみとわたしなりの責任感もあり、それを叶えることは難しい。

動かない、より動けない、か。

 

社会人になり、そこそこ自由にお金が使えるようになり、醜い肥満体を何とかしようと一念発起してダイエットに成功した。

 

今のわたしはそのダイエットの結果による意識の変化で構成されている。

ウォーキングから始め、ジョギングとなり、いつしかマラソン大会に出るのが定番となり、その為に専門書なんかを読んで練習メニューを組んじゃったり。

昔は体型による意識過剰で服屋にも入りにくかった。勝手に世界を狭めてた。

痩せるとオシャレ~な服屋にも一人でバコバコ入れるようになり、散財する。

オシャレ~なカフェにも同様で、コーヒーに興味を持つと自分でドリップするのが日課となっている。

 

その反動か、東京へ来たりすると楽しい反面、虚しさを実感する。

わたしにないものを求めている。

手に入れようがないもの。

別にアン・ハサウェイとイチャイチャする暮らしが手に入らない!とかいう話ではない。

 

田舎でほそぼそと生活するわたしにはそれが東京なのかと。

 

自分の体はシェイプできても、東京へ来る度に何かを渇望して一時は肥大する。

でも決定的な何かを得られない。

 

結局は他人だよね、みたいな。

 

新木場studio coastから駅への帰り道

すげーすげー寂しかった。

夏は暑いから(今年は特に)好きじゃないけど、夏が終わったあの感じ。

 

「本当に」帰らなきゃなって。

思ったのか思わされたのか。

どっちでもいいや。どうせ帰るんだから。