問答

湘南国際マラソンに出場した。

かれこれ5回目か。初めてフルを完走した大会で自己ベストも出しているが、止まらずにもしくは歩かずに完走できたのは、実は1回しかなかったりする。別に相性のいい大会というワケでもない。日程的にちょうどよかったりする場合が多かったからだ。

東京まで新幹線、会場まではツアーバスで会場の大磯ロングビーチまで直行する。秋はまだ東北でも暑いことがあるし、以南はもっとそうだろう。そして、できるだけ走り込んだりと準備をしたい。それには11月から12月初旬あたりが望ましい。それ以降になると、こちらの天候が悪くてロクに調整もできなくなる。プラス、わたしの仕事上11月中旬から末にかけて外せないイベント?のようなものがある。ずれ込むこともあるが、基本的には固定しており、珍しく移動した昨年はつくばマラソンにエントリーしていたものの、入院やら病気やらでキャンセルせざるを得なくなった。そんなんで東京マラソンに初めて当選する逆説的な強運の持ち主だった。

まあ、そういう事情を鑑み、11月初頭よりは翌月のそれの方がいいかなーと思いつつも、レース直前になると大体数日は吹雪かれる。やる気が削がれるということを、毎年繰り返した上で42.195kmを走り抜けているから誉めてほしい。さあ、どうぞ。

本格的に冬場になると飛行機が欠航する可能性が出てくる。青森からだと飛行機直通は東京、伊丹や名古屋。心配しすぎだとは思うけども無用なリスクは背負いたくない。なるべく長時間の移動もしたくないし…ということで関東圏くらいしか行き場がなくなる。しかし、冬で淡々とジョグかロングジョグするぐらいしかできない身分としては、そこでいいパフォーマンス(カッコいい!)ができないかも…と。上手くいく要素が少なくなる。やってみないと分からないが、実質的にマラソンは年内終了となる。そもそもスケジュールと遠征の際にかかるお金など、様々な問題がいつもクリアできるワケではないのでね。

今年は日射しが強くなく、薄曇りのナイスコンディション。しかし、朝は何だかんだと時間がかかり、ホテルから直行バス駅へはメトロに乗ればいいのに何故か山手線へ。駅から乗り合わせ場所へはダッシュ。受付時刻には何とか間に合うが、それからも少し猶予の待ち時間はあったらしく、やさしい世界がそこにはあった。わたしだけが自分自身に辛い仕打ちをしていた。

会場の導線が変わっており、そこには戸惑いつつも着替え。スタートブロックがいくつかに分かれており、わたしはB。割と前の方だ。CとD(Eも?)あたりを対象にした地点のトイレは行列ができていたが、人はそこそこ動いており、大量に設置されているので、すぐに用は足せそうだった。係員からはAとBの所にもあります~との声。じゃあ、ABだけのトイレでゆったりしようかと余裕をぶっこいたのも束の間。トイレは少なく、大渋滞。わたしと同じように、そういった考えの人間が多く集まったことも影響したらしいが、純粋な我々が狡猾な係員のワナにはまった。イノシシよりも簡単に捕獲されてしまった。

集合場所から更に整列するまでは離れており、移動するので、それを利用して少し走って心肺に刺激を入れたが、「…ふくらはぎが張ってね?」と、恐らくは先ほどバスに乗る際に坂道をめっちゃダッシュした時だ。そういえば足パンパンだった。もうどうにでもなあれ☆

スタートからはペースメーカーを目標に、やはりふくらはぎは張っている感覚があるものの、特に無理なペースではない。追いついてからは集団走。やたら元気なペースメーカー。しかし、梨状筋症候群を患ってから足の左右バランスが悪くなり、ハーフでも左右ガタガタになるのをどうにか抑え込んでいた。15㎞ぐらいから少しずつ左が蹴れなくなり、集団で走ると後ろから足を踏まれたり蹴られたりするが、そこからしばらく足の感覚が鈍くなり、25㎞から左のストライドが狭くなり右ばかり使って走る。徐々に追い付けなくなり、28㎞過ぎの給水でジェル補給を兼ねて止まり、すぐに走るがもうジョグしかないな…と思いきやどんどん鈍くなり、35㎞で歩く。後ろから一段遅いペースメーカーが来ており、そこに付いていこうと走り出すと、今度は左の土踏まずが激痛。また歩く。全然息が切れてないんだけどな…。

36㎞から、走って歩いて繰り返していこう。痛いし、と完走だけを考えていくが、それなりに、やっぱりジョグだけど走れる。痛いけど。でも徐々に痛みに慣れていき、残りわすがの坂ではラストスパート。これ毎回やってるんだよね。ここだけ。

ベストタイムからは20分以上30分未満の遅れ。目標も自己ベストに近い所を設定していたが、心の中では無理だろうなと分かっていた。怪我が治らないし、そもそも練習できてないし。今後はどうなるかな。もうフルは厳しいかな。左右のふらつきと、いわゆるびっこを引く状態になるし。1月のハーフマラソンはそんな感じになったし。ゴールして、全然悔しくないのもそういうことかな。

淡々と着替えをしていると、となりの人はシューズが血だらけ。マメが潰れても走っていたらしい。

痛みをこらえて頑張るのは美徳ではない。

ないが、自分はもっと頑張れたのに頑張らなかった。全然だ。

まだ、何もやってないんじゃないだろうか。

まだ、できるのかできないのか。

それすら分かってないかもしれない。

すべらない話

雪が降っている。

水分を含んでベチャベチャした、いわゆる濡れ雪というヤツだ。

車のタイヤは換えていない。まだ何とかなるだろう。まあ、ナメてかかると痛い目に遭うのは、わたしのわたしによるわたしの為の法則だからならないかもしれない。

ライフイズ美しい。

まだ根雪にはならないらしい。TVの天気予報でどこのどなたかは存じ上げませんが、難しい試験を通った気象予報士さんがおっしゃってらしたという。

ヤフー天気は信用しない。スマホにダウンロードしてあるのだが、あれは直近の予報もべらぼうに外す。ボウリングのスプリットぐらい外す。気象庁のそれをコピー&ペースト(略してコピペ※多分死語)しているようなものだと理解しているが、わたしは信じていない。信じるものは救われていない。主にわたしだが。

それでも他の無料ダウンロードアプリに比べればマシだ。やはり大事なものにはしっかりお金をかけなければいけない。

しかし、無料でそこそこのクオリティで、TVをつけたら、スマホを開いたらいつでも情報を入手でき、しかも大いに外れる可能性を常にはらむ天気予報にお金をかけるのか?

たかだか月数百円で脳内では検事と弁護士がやりあって裁判長が判決を下す。証人もわたしが(脳内で)用意する。そんな脳内リーガルハイを繰り広げている。日夜。さすがに日夜は嘘だけど。

今は止んでいる雪。今シーズンは何度「大雪にウンザリ」という見出しをみかけることだろう。タイヤの準備は出来ていないが、その記事にうんざりする準備は出来ている。

風の歌を聴け(四畳半フォークソングver.)

ランニングとは自分の身体との対話。

村上春樹が代表的だが、ランニングを嗜む作家や学者はこういった物言いをする人間がいたりする。

まあ、それはそうだろう。村上春樹の小説は特に好きでもないが、彼の例の走ることについてなんたらかんたら、あれは好きだ。そうば、蛇足だが村上のコラムは面白い。要はフィクション風味が薄い方が独特の(好き嫌いが異常に分かれる)文体が功を奏している。気がする。

わたしとしては身体との対話なんていうとスピリチュアルな響きがして、お高く止まってるように思ってしまう。俗っぽくなると、ある種の人種は息が身動きがとれなくなってしまうのか。

いや、それもある種の物語なんだろう。野球には野球の、サッカーにはサッカーの、マラソンにはマラソンのそれがあり、草野球に励むおじさんたち、フットサルに興じる若い人たち、同じように市民ランナーにも物語があるのだ。それが村上文体に落とし込まれたり,『BORN TO RUN』に化けたりする。

まあ、今思えば『BORN TO RUN』はNIKEのビジネスだよねと。全ては資本主義である。

NIKEは新たなアイテムの創出が本当に上手い。先進的というか。できるだけ正確に言うなら創出の演出が上手いのか。

adidasはそこら辺が弱いよね。ブーストの打ち出しがタイミングと立ち位半端さで、後発組のNIKEにかっさらっていかれた感がある。スーパースターやスタンスミスなどの懐古的価値が見出だせるものの維持については強いけども。

ちなみにわたしはadidasのスニーカーやランニングシューズとはすこぶる相性が悪い。端的に足が合わない。スタンスミスがアップデートされようが華麗にスルーである。

これも身体との対話による結果なのだ。

…あまりにも適当すぎるな。うん。

切ないと寂しいは紙一重なのだろう。多分。

東京とまではいかなくとも、仙台や盛岡に行くと歩て移動するということが前提として都市が形成されていると思える。わたしが住む青森にはあまり感じられない。寒くとも雪が少なく、歩いて移動するのが当たり前だからだろう。八戸ぐらいからその傾向は出てくるけれど。

個人的に寒いのはそこまで苦痛ではない。家に引きこもるか厚着をすればそこそこなら耐えられる。しかし、雪はどうにもならない。積もる上に凍り、除雪も相まって殺意を抱く程のアイスバーンを決して短くない期間強要される。北海道は(わたしの中で)先輩と呼んでいる。格が違うのである。

東京の冬は寒いという背景には家のなかに(ほぼ)エアコンしかなく、雪がないせいか気温が低いときには冷気がダイレクトに突き刺さるからだろう。わたしは、東京の人たちが凄まじく厚着をしているのを見ると、あの地域は南国に属するのだろうと、地下鉄のホームで汗だくになりながら決めた。

冬が実は好きなんじゃないか?と思うのは決まって雪がまだギリギリ降っていない=積もっていない時の夜だ。寒いのは確かだ。でも空気が澄んでいて、あの切なさみたいなものがあまりにも好きすぎて、この空気を真空パックに詰め込んで自宅でスーハーしたくなる。違法ではないので許していただきたい。

仙台の夜。もう少し静かになれば、この刹那的切なさがもっと感じられるのに。

これからスカートのライブが始まる。ブログ登場回数上位(多分2回目)のスカート。あのナイスボディは健在なのだろう。わたしはハートランドビールを飲み終え、紙コップをゴミ箱に投げ込んで登場を待っている。

もう一杯ください。

恋はいつも幻のように(ホフディラン)

新幹線の中からお送りする今回。

いつも新幹線から酔いに任せて投稿しているのは気のせいではない。今も酔っている。ふー!酔っぱらってはいない。違いが分かるかな?ふー!

気が向かなければブログは書かない。普段は本を読んだり音楽を聴いたり、仕事したりなんやかんやで余裕がない。ねえよ。

今日は仙台に向かっている。明日は休みをとっている。「休み」と打ったら「八住」と出やがった。そんな文字を打ったことはないし、全国の八住さんには悪いが人生で八住という名字を書いたり打ったりすることもなければ、目にすることもない人間はどれくらいいるかという話である。どれくらいいるかは知らないし調べない!知らない!

新幹線でアルコールを嗜む(あくまで上品なフリ)のはいつ頃からだったか。多分ここ3、4年くらいのことかも。それまではプシュッという音が鳴る度に「このアル中が!」とアル中でもないかもしれない人々を蔑んだものだが、新幹線は長いのである。東北新幹線で言えば岩手はヤベーのである。ワープさせてくれるなら、あと1、2万くらいは払う構えだ(あくまで構えだ)。 

距離にもよるが、大体ビールを350ml缶を2本。そこに読書と睡眠を交えればなかなか快適な時間を過ごせる。それでもトリスハイボールやチューハイ、発泡酒を飲んでいる輩とは違うんだという自負にもならない自負はある。そしてスーパードライではない。エビス、プレモル、時期にもよるがサッポロクラシック、プラス黒ラベルの限定醸造的なものしか飲まない。プレモルも限定的なシリーズしか飲まない。意識が高いのである。次元は低いのは分かっている。

到着する頃には酔っている感覚はあるが、行動に支障がないというバランス。完璧なのだ。これが3本空けたとか500mlになると途端に崩れ去ってしまう繊細で儚く悲しげな物語になってしまう。泡のように消えてしまうのだ。ビールだけに。

…おやすみなさい。

キョンキョン

ちょっと前からキンプリがどうの、という声がテレビから流れてきた。ジャニーズなんだと最近分かった。King&Princeでキンプリね。はあ。

ファンにとって、アイドルがプリンスなのは分かるがキングでいいのだろうか。アイドルなのに忍者ってのも忍ぶなよって感じだが。今さらだが。

アイドル=偶像、憧れとするなら、ご当地アイドルや地下アイドルが乱立に乱立を重ねて平壌運転になって久しいワケだが、昔ながらの所轄アイドルは会いに行けるアイドルではなく、会いにいけることができない状態だと思う。

AKBが秋葉原?(ここら辺全然詳しくない)で半地下アイドルみたいな活動して、握手会して~というのは、そういうアイドル像には当てはまらず、何だかよく分からないような留学して帰ってきました♥️みたいな報告がワイドショーで流れる方がしっくりくる。大島優子状態だ。

アイドルは最初からアイドルではなく売れなきゃなれない。よくよく考えると当たり前なんだけど。昭和は新人アイドル歌手がデパートの屋上で観客皆無か、どっかの通りすがりに罵声を浴びせられた、いじられたみたいな話をよく聞く。

アイドル歌手が歌手であって歌手じゃない、少なくともまだ女優じゃないタレントが売り出すにあたって、それが手っ取り早かったのかもしれない。今はまだアイドル=憧れの人ではないのにアイドルを名乗る。大きな矛盾だが、そんなのどうでもよくて、むしろ定義が曖昧としたカテゴリーを作る方が色々と応用(と無理)がきいて、マネジメント側も結構なルックスがあれば(色々と無茶がきいているのもあるが…)演技力も歌唱力もいらないし、こちらでキャラクター設定をコントロールできる。しかも安月給が当然みたいなもんで数年は稼げるとなれば言葉の定義なんて知らんわね、と。そうなるね。

なんか秋元康がアイドルを壊した?みたいに言われているが、少なくとも日本におけるアイドルなんて当初からあらゆる部分で壊れっぱなしなんじゃないかなって。よく聞かれる(のか?)AKBのルックスがどう~とかいうのも別にねえ?と。昭和アイドルそんなにか?とも。

…まあ、地下に潜ってる人とか、地方で頑張っている人を見るとそんなにだな!とも思いますけどもね。1億総アイドル。

わたしにとってのアイドルは?

 

誰だろうな…スーパーカーとかミッシェルガンエレファント、ナンバーガールとか?…それこそ所轄アイドルじゃないな。でもわたしにとっては特別で、憧れてやまない人たちだった。

そういえば、RISING SUN ROCK FESTIVALの記念すべき第1回目には彼らが出ていて、わたしはそこにいた。素晴らしかった。その時のチケットは今でも部屋に飾っている。

そしてRISING SUN発起人(みたいな立場)となっていたBLANKEY JET CITYのマネージャー?が主催のロッキンオン社と相違があったらしく、数年後には当時勤めていた編集者をベンジーと共にボコボコにするというオチで本文を締め括りたい(無関係)。

ヒキが弱い

わたしの数少ない趣味の1つがランニングなのだが、先日限りなく岩手に近い宮城県北部でマラソン大会があり、クルマで馳せ参じた。背中が死んだ。岩手がすっかり嫌いになった。あいつ長すぎる。

フラットなコースがウリの大会はやたら多いが、大抵は高低「差」が少ないだけで道中のアップダウンはビシバシだったり。特にコースマップだけあって高低差を併記していない大会は要注意だ!今回はそれだったぜ!

終了後、地元の産業まつりが同時開催されて、ステーキ串?の無料試食会をやっていた。大名行列のごとき人の波。別に興味もなかったけれどさ。ふん。

 

とりあえずクールダウンのジョグをして、さあなんか食べよっかな~と戻ったら試食の場所は十戒のような空きスペースに。

「串が頬内側に刺さって悶え苦しんでしまえばいいのに」

とは思わなかった。ふん。

 

屋台はいくつかあったので、ウロチョロしているとカフェの出店。オーガニックコーヒーと書いてある。コーヒーとラテ。あとはオサレな炭酸数種類。コーヒーをチョイス。少しびっくりしたけどエアロプレス。こんな所で(失礼)。「やっと会えたね」と言ったか言わないかは定かでない。

モチと甘いもの好きのわたしは違う屋台でお汁粉を購入。そこら辺の芝生に座りワイルドなランチ。

コーヒーは熱い。まあまあ美味い。

汁粉は…ぬるくね?ね?じゃない。ぬるい。何となく汁も薄い。…お湯で足してる?そしてモチは四個。しかし丸くて白玉のような形状。わしゃ、四角い存在感のあるモチが好きなんじゃ(千鳥を思い出してくれませんかね)。

満たされないから鯛焼きを食べようと並んだら、わたしの手前の人が面倒な注文をしたせいもあるのだが、そこから全く焼ける気配がない。わたしはそういうパターンが多い。前世永遠の秘密兵器と呼ばれる補欠だったのかもしれない。うん。しっくりくる。

離脱して何となくクレープを食べた。美味しい。宮城のクレープ美味しい。宮城に何時間もかけて背中を破壊し、ハーフマラソン疲労困憊になり、汁粉でイライラさせられ、鯛焼きを諦めて食べた宮城のクレープは美味しい。こんな気持ちをどう表現したらいいのだろう。ふう。

帰りはやっぱり背中が死んだとさ。