WHITE BREATH(いや、マジで)

涼しいのは好きだ。寒いのは(程度と)場合による。雪なんてアホだ。青森に秋はない。と言い切ってもいい程ただでさえ短い秋が、今年はマジで皆無なんじゃないか。

霧のような空気に包まれた朝、冷えた内臓から放出される尿、凍えながらジョギングするわたし。それを横目に半袖短パンで犬の散歩を平然としてのけるおじさんが、むしろ逆にリアル。何故かジャック・ケルアックを思い出すなど。よく分からないが。

 

スーパーに琥珀ヱビスが売っている。この季節になると限定販売する。毎年必ず買う。ヱビスは近年種類が増えたのだが、全体的には出来にばらつきがある。ジョエル・ロブションとかいらんねん。しかし、琥珀ヱビスは素敵。すき。買った。勝った。買って勝った。ああ、今年も買ったさ。勝ったのさ。色を見るだけでウットリする。あの色だけで8割満足するコスパの良さ。ヱビス高え!とかどの口が言ってんだ?その口か!

 

そう、わたしは今、そう、今!酔っ払いである。このブログは大体酔っ払い状態で打ち込み送信している。それでいい。それがいい。この味がいいね、と誰か言ったからアルコール記念日である。

そういえば先日飲み会をした。七時間だ。長い。でも帰る時は寂しい。そんなもんだ。一時の戯れでしかないからね。飲もうが寝ようが、酒乱じゃなけりゃそれでいいじゃん。

しかし、タバコはイヤだ。タバコは臭い。身体に悪いとかどうでも(よくないけど)いい。田舎だから基本アルコールとタバコはセットである。アイコスだから許されていると思ってんじゃねえ。いいか、吸うのはテメエの勝手だが、だからといって優先じゃないんだよ?ないんだよ?ということを忘れないでいただきたい。

田舎の飲み会には、いい服を着ていけない。臭いがアレだからだ。洗えばいいとかクリーニングに出せば?とかそういう生ぬるい話じゃねえんだ。そんなナメた口きくとベンジーグレッチでぶってもらうぞ!(古い)

飲み会最中はまだいい。問題は帰ってからだ。帰る。脱ぐ。嗅ぐ。臭っ!のパターンしかない。特にニット類へのこびりつき方は大迫も話にならない、ポドルスキぐらい半端ない。もう一度言うが、洗えばいいとかそういう問題ではないのだ。

 

LCDsoundsystemを聴きながら寒さに凍えてジョギングをしていて、琥珀ヱビスを愛する酔っ払いでタバコはキライでクリーニングしたくねえんだ。

 

要するに2杯目はマッカランにしようと思っただけの話だ。

まとめてみた。まとまらないが。

(二)日(酔い)のサマー

8月は走馬灯のように過ぎ去ってしまったワケで。

いつからか突如出現した「平成最後の夏」とかいうキャッチフレーズは、残暑という負の遺産を残すクセに、自らは人々の記憶から跡形もなくあっという間に消え去ってしまうのだろう。ああ、無情。ヴィクトル・ユーゴーさもなくばアン・ルイス

 

夏はビールだ。秋冬はウイスキーだ。春は何となく日本酒だ。多分、花見のイメージだけだ。酔っ払えば関係ないのだ。

一時期、クラフトビールにハマった。今もそれなりに飲んでいる。世界的にIPAが流行ったあたりからクラフトビールに関心を持った。ミーハーでしかない。知ってた。

IPAはざっくり言うと「ホップいっぱい」ビール。インディアンペールエールの略。そもそもペールエール自体が「ホップいっぱい」ビールなので、よっぽどホップを使いたかったんだなと覚えて帰ってください。流行の火付け役とあって、クラフトビール界隈では1番人気。華やかだもん。恐らく、ヴァイツェンやスタウトでは爆発的人気とはならなかっただろう。なお、発言に責任は持ちません。

 

ただ、クラフトビールを飲んでいくと、大手メーカーのピルスナーがよく出来てると分かる。ヱビスはもちろん、黒ラベルプレモルってよく出来てるんだなと。スーパードライはアルコールの入った味の薄い炭酸だが、あれはあれで考えられている。ガバガバ飲んじゃう点では最適である。美味くはない。美味くはないがだからこそ。美味くはないが。

ちなみにスーパードライに親は殺されていない。なんとかピンピンと存命している。

 

夏が終わるとビールの扱いは途端にぞんざいになる。夏は生ビール♥️だなんだと持て囃しやがったクセに。

ひと夏の恋。

平成最後の夏もどうせ捨てられる運命なんだろう。

しかし、わたしは今日も明日もビールを飲むだろう。

平成最後の夏もビールを飲んだ。

夏じゃなくても飲むだろう。

平成が終わっても飲むだろう。

記憶は残るどころか、さだかでなくなるだろうが。

夏なのにスプリング

アニメには特に詳しくもない。

ジブリやディズニーはともかく、冗談抜きでTV版エヴァの段階で時間が止まっている。

ああ、電気グルーヴの『モノノケダンス』が墓場鬼太郎に使われているのをリアルタイムでは知っていた。まあ、観たことはないが。

 

漫画はそこそこ分かる。マジでそこそこなので、「そこそこ」以外に表現できない。

TVで放送されるアニメは大抵、漫画が原作だと思うのだが、漫画よりアニメの存在感が大きい作品もあるだろう。

それを世間からとするか、ファンからとするかでは結構なズレもあるだろう。

 

ちびまる子ちゃんはアニメが一人歩きするぐらい、原作とは乖離した存在に思えた。これは世間からの見方だろう。

 

さくらももこ氏の死去が伝えられた。

今朝がた、某TV番組からはアニメの映像をふんだんに盛り込みながら(他局なのに)、アニメとしての存在を大々的に伝えられた。

「アニメの舞台となったのは」

「アニメの登場人物のモデルは」

漫画が原作で、舞台はそのままだし、登場人物も(さくらももこ氏が脚本を書いていたらしいとはいえ)漫画からがほとんどだろう。

 

さくらももこ氏がアニメに対してどう思っているか、知るす術もないが、普通に考えて大変無礼なものだろう。漫画家がアニメに提供した漫画の存在をスルーされたのだから。

しかも自分の死に際して。

 

ただ、TVからみれば自分たちのテリトリーだからことさら大きく(それが故人を冒涜するものに聞こえたとしても)アニメをクローズアップしたと考えれば、理解できなくもない。共感しないが。

特に世間への影響力自体が薄れていっている彼らにとっては、自分たちの手柄だと改めてアピールしたいのではないか。

だからどうだと聞かれたら、やっぱり無礼だとしか言いようがないけれど。

 

話は変わるが、さくらももこのエッセイストとしての才能は凄かったと思う。

昔、読んだエッセイは子供ながら大変面白く読めた記憶があり、今おぼろ気ながら振り返ると、やはり素晴らしいエッセイだった。

本人が学生時代にエッセイの才能を教師に絶賛され、それを漫画に落としこんだというだけでも異能の持ち主であるが、なるほど彼女の作品はストーリーではない。

オフビートとも言えない間の取り方。

ワードではない、センテンスが感じられる。エッセイと言う他ない。

 

ふと、彼女は漫画家になりたくてエッセイを取り入れ、後にそれを本業同様あるいはそれ以上に絶賛される状況を、どう感じていたのか気になった。

ずっと戸惑っていたのか。それとも途中から割り切ったのか。むしろその方が楽しかったのか。

もしかしたらアニメの成功も、それによる漫画の(相対的な)影の薄さも、特に何とも思っていなかったのかもしれない。

ああ、やっぱりセンテンスの人かも。

全て飲み込めるキャパシティがあったのかも。

そうするとますます異能。特大レベルの。

 

まあ、TVの放送は最低だと思うけど。

読書によせて

神楽坂のかもめブックスが好きで、東京へ行く度に足を運ぶ。

本を眺めては買い、併設のカフェでドリンクを頼み、持ち歩いている本か、購入した本を読みながらどうにでもよくなる時間帯。

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今回はエスプレッソトニック。

おいしゅうございました。

 

なぜコーヒーと本なのか。

日本茶や紅茶と本ではイマイチしっくりこない。

同じお茶なのにね。

ハンバーガーとフライドポテト、ウイスキーとジャズ(村上春樹的な)、神宮球場とビール(村上春樹的な)、海とナンパ、祭りとナンパ、女は海。

 

でもたまにビールを飲みながら読書すると異様に進む。めっちゃ進む。

かもめブックスでは箕面ビールを置いてある。2度ほどお世話になりまして。

つまり何でもいいのかもしれない。

最近読んだのはイアン・マキューアンの『憂鬱な10ヶ月』だった。

コーヒーとビールと長時間の新幹線と山手線にメトロ。

進んだ。めっちゃ進んだ。

さっき入れたコーヒーを飲んでフラッシュバック2018

数年前から毎朝のように豆から挽いて飲むようになった。

あれはサードウェイブが(業界ではなく)巷で浸透していたあたりだったか。

BRUTUS』でも特集が組まれたり。

それまでコーヒーにはさして関心がなかったけれど、それがかえって興味をそそったのかもしれない。きっかけを強烈に覚えているというワケでもないのが、いかにも平凡なわたし。

 

当時の(今でもあまり変わらないけど)青森ではスタバやドトールのようなチェーン店を除けば喫茶店が主流で、カフェもコーヒーを強く打ち出している店は少なかったというか、あったかな?ぐらい。

 

だからまあ、物足りない。

茶店深煎りコーヒーの魅力を再発見するのは後のこと。

浅煎りがトレンドなんだよね程度の知識しかなかった。

アタマも浅煎りだった。

…アタマも浅煎りだった。

 

本題。

初めてサードウェイブ的コーヒーに触れたのは原宿にある『BE A GOOD NEIGHBOR COFFEE KIOSK』だった。

KIOSKの名の通り、ほぼドリンクと豆売り中心のコーヒースタンド。

同じく原宿にあるインテリアショップのオーナーが作った。

『Play Mountain』だったかな?

通算5、6回は通ったし、豆も購入した。

ここからコーヒースタンドやカフェ巡りが始まったし、以来自宅で飲むようになった。

なんだかんだ思い入れのあるスタンド。

今は支店もあるみたいだが、サードウェイブからコーヒーショップが乱立する今に至るまで、そこまで存在感はなかった。

しかし、浅煎り傾向ではあるものの、いつどの豆を使用したドリンクを頼んでもバランスがいい。

浅煎りに寄り過ぎるサードウェイブ以降のスタンドと、深煎り至上主義を崩さない喫茶店『BE A~』は前者のスタイル。酸味を生かしたコーヒーであることは間違いないけど、いかにも意識高い感じじゃないのがいい。

 

今は辞めたのか違う店舗にいるのかは分からないが、初期にいた男性バリスタは酸味のあるコーヒーの話題を振ると、何だか嬉しそうに話をしてくれた。

彼がハンドドリップで入れてくれたのは、やはり浅煎りで酸味のあるもの。

酸があるコーヒーは酸っぱいコーヒーではないこと。

以前以後に出くわすこともあった、酸っぱいコーヒーとそれを嫌うあまり単に深く煎れた苦々しいコーヒー。

それらを判別できたのは、最初に出会ったのが「ちょうどいい」感じだったから。

 

最初が肝心とはよく言ったもの。

ここでいい思いをしなかったら、器具を揃えて豆を購入して出来不出来に一喜一憂して…なんてなかったかもしれない。

 

さっき入れたアイスコーヒー。

割と上手くできたな。

次はもっと上手くできたらいいな。

 

夜のコンビニ、マジで外国人しかいない東京について

東京に来ている。

これから帰るのだが。

 

今回遠路はるばる遊びに来たのは

ceroが主催する『traffic』というフェス的なライブの為。

去年も来たんですけどね。

地元にceroは来ません。あのヤロウ。

 

わたしの地元は青森。

田舎といえば?と問われたら一、ニを争う支持を集める追いかけて雪国。

そしてわたしが住んでいるのは

県庁所在地の青森市ではなく

唯一の国立大がある弘前ではなく

津軽地方の小さな町。

 

特に何があるわけでもなく

コンビニすらない山奥というわけでもない。

別に有名でもないが限界集落のような危機感もない。

 

わたしも愛しているとは言えない。正直思ったこともない。

しかし、吐き気がするほど嫌いだとは言えないし、ユルい絶望感と虚無感を持ちながら日々を過ごしている。

 

ふと、なぜ東京に出てこなかったのだろうと考える時がある。

 

チャンスはまあ、いくらでもとは言わないがそれなりにあったハズ。ハズ。

でも、若いうちは東京への憧れといったものは恐ろしいぐらいになかった。

わたしには吉幾三ほどのエモさはなかった。

諸事情もあり、東京へ住まいを移すことはできない。いや、やろうと思えばできるだが、様々なしがらみとわたしなりの責任感もあり、それを叶えることは難しい。

動かない、より動けない、か。

 

社会人になり、そこそこ自由にお金が使えるようになり、醜い肥満体を何とかしようと一念発起してダイエットに成功した。

 

今のわたしはそのダイエットの結果による意識の変化で構成されている。

ウォーキングから始め、ジョギングとなり、いつしかマラソン大会に出るのが定番となり、その為に専門書なんかを読んで練習メニューを組んじゃったり。

昔は体型による意識過剰で服屋にも入りにくかった。勝手に世界を狭めてた。

痩せるとオシャレ~な服屋にも一人でバコバコ入れるようになり、散財する。

オシャレ~なカフェにも同様で、コーヒーに興味を持つと自分でドリップするのが日課となっている。

 

その反動か、東京へ来たりすると楽しい反面、虚しさを実感する。

わたしにないものを求めている。

手に入れようがないもの。

別にアン・ハサウェイとイチャイチャする暮らしが手に入らない!とかいう話ではない。

 

田舎でほそぼそと生活するわたしにはそれが東京なのかと。

 

自分の体はシェイプできても、東京へ来る度に何かを渇望して一時は肥大する。

でも決定的な何かを得られない。

 

結局は他人だよね、みたいな。

 

新木場studio coastから駅への帰り道

すげーすげー寂しかった。

夏は暑いから(今年は特に)好きじゃないけど、夏が終わったあの感じ。

 

「本当に」帰らなきゃなって。

思ったのか思わされたのか。

どっちでもいいや。どうせ帰るんだから。

わたしはビールクズ

引き続きビールクズがお送りします。

 

東京は暑い。マジ卍。マジ卍ってどういう流れでムーブメントが起こったのだろう。

調べる気にならない。

 

年に3、4回程東京に来る。

仕事だったり、遊びに来たり。

田舎者は東京の街並みにウキウキしながら、何かしらの絶望感と安堵を覚えて何もない地元に帰っていく。

 

誰だろう、東京を何でもあるけど何もないとか言ったり言わなかったりしてたかな。

それの意味する所、分かるけども都会の人間がいかにも言いそうなことだなって。

田舎は何もなさに軽い(ここポイント)絶望感を得るのだ。

少なくとも自分はそうだ。

 

まるで自分自身が何もない人間かのように。

 

おれはビールクズ

天秤座AB型。利き手は右だが利き足は左。

中村俊輔って結構デカいよね(178㎝)。